実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

他者に対しては,常に共感的かつ寛容な態度で向き合うことを心がけるべきである。

 失敗や過ちを犯さない人間などいません。人間なら誰でも失敗や過ちを犯しますし,人間が犯す失敗や過ちのほとんどは,誰もが犯す可能性のあるものばかりです。「水清ければ魚棲(す)まず」,「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如(ごと)し」などとも言います。たとえ他者が失敗や過ちを犯したとしても,見下したり,嘲笑したり,鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てたり,正義を振りかざして不寛容に責め立てたりするのではなく,「罪を憎んで人を憎まず」,「正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい」(吉野弘)という精神・姿勢を忘れることなく,罪の償いはしっかりしてもらい,罪の責任はしっかり取ってもらいながらも,同じ人間同士として(同じような失敗や過ちを犯す可能性のある者同士として),相手の人間的な成長や更生の可能性を信じ,できる限り共感的かつ寛容な態度で向き合うことを心がけたいものです。他者が犯した失敗や過ちを不寛容に責め立てるということは,自分もいつか他者から不寛容に責め立てられるということに他なりません。他者を軽んじたり,厳しく非難したりすることは,多少の憂さ晴らし(鬱憤晴らし)にはなるでしょうし,自分が偉くなったように感じられて気持ちがいいかも知れませんが,たとえどれだけ正しいことを言ったとしても,真心や愛情に裏打ちされていない言葉は相手の心に届きませんし(自分の気持ちを相手に伝えたいと本気で思うのであれば,こちらの愛情や真心が相手に伝わるような口の利き方や物の言い方を心がける必要があります。),厳しく非難したり罰したりするだけでは相手の反省や成長・更生を促すことにはつながらず,かえって反発を招き,相手を意固地にさせ,素直に反省することを難しくさせてしまったり,相手を他罰的(他責的)・悲観的・自棄的にさせ,人間的な成長や更生を困難にさせてしまったりするだけです。そして,結果的には,相手に同じような失敗や過ちを何度も繰り返させてしまい,それらによる社会的損失を増大させてしまうだけです。