実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

実り多い幸せな人生を送るために(要点)

(前書き)私たちは過去の経験や遺伝や環境の奴隷ではなく,実り多い幸せな人生を送れるか否かは,境遇によってではなく,最終的には自分の意志や努力によって決まる。

①真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたい。

②私たちは,過去の経験や遺伝や環境(他者や社会など)の奴隷ではない。

③実り多い幸せな人生を送れるか否かは,最終的には自分の意志や努力次第である。

 

 

1 どのようにすれば幸せになれるのか

 

《幸せとは》

 

1)幸せとは,自分が幸せであることに気付くことであり,それさえできれば,社会的な成功など収めなくても,誰でも幸せになり,幸せであり続けることができる。

①幸せとは,自分がすでに十分に幸せであることに気付くことである。

②生きているということは一つの奇跡であり,心から感謝すべき有り難いことである。

③人生には,困難や苦労を補って余りあるほどの生きる喜びや幸せが詰まっている。

④幸不幸は心の持ち方次第であり,幸せであるための条件は誰にでも備わっている。

⑤自分がすでに十分に幸せであることに気付くことさえできれば,誰でも幸せになれる。

⑥幸せになるために,他者と競い合って社会的な成功を収める必要などまったくない。

 

(2)人生に大きな悔いを残さないようにするためにも,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送ることにこそ,最大限の関心を払い,最大限の力を注ぐべきである。

①自分が幸せであったことに死ぬ瞬間に気付くのでは,人生が余りにももったいない。

②幸せであることと感謝することの間には,切っても切れない密接な関係がある。

③幸せな人生を送ることにこそ,最大限の関心を払い,最大限の力を注ぐべきである。

④権力は,権力を私物化する危険性の低い,利他的傾向を有する人間に託すべきである。

 

(3)世の中を寛容で和気藹々とした暮らしやすいものにするためにも,自傷他害的な行動に走ることなく,有益無害な人生を送るためにも,私たちは幸せである必要がある。

①自分は不幸であると思い込んでいる人間は,自傷他害的な行動に走りがちである。

②不幸な人間が増えれば増えるほど,世の中は不寛容で暮らしにくいものになっていく。

③暮らしやすい社会を実現し,有益無害な人生を送るためにも,幸せである必要がある。

 

《なぜ自分が幸せであることになかなか気付けないのか》

 

4)人間の欲望には限りがないため,欲張り続ける限り,自分の人生に満足することは難しく,不平不満ばかりを募らせては自分が幸せであることに気付けなくなってしまう。

①人間の欲望には限りがなく,人間は生きていくのに必要なものだけでは満足できない。

②欲張り続ける限り,いつまでたっても私たちの心が満ち足りるということはない。

③欲張り続ける限り,他者はパイを奪い合う敵であり続け,自然環境も破壊され続ける。

④欲張り続ける限り,ままならない人生に不平不満ばかりを募らせてしまうことになる。

⑤欲張り続ける限り,必然的に,自分が幸せであることに気付けなくなってしまう。

 

(5)恵まれない境遇に生まれ育つなどして世の中の否定的側面ばかりに目を向けるようになってしまったために,自分が幸せであることに気付けなくなっている人たちもいる。

 

《どのようにすれば自分が幸せであることに気付けるようになるのか》

 

6)自分の欲望に自分の意志でブレーキを掛け,必要以上に欲張ることさえやめれば,自分の人生に満足することが可能になり,自分が幸せであることに気付けるようになる。

①必要以上に欲張ることをやめさえすれば,自分の人生に満足することが可能になる。

②必要以上に欲張ることをやめれば,他者は仲間になり,環境破壊の危険性も低下する。

③自分の欲望にブレーキを掛ければ,自分が幸せであることに気付けるようになる。

④必要以上に欲張ることをやめれば,人生の最優先事項を見誤るようなこともなくなる。

⑤無い物ねだりをせず,自分が持っているものだけで満足できるようになる必要がある。

⑥質素な暮らしは,足るを知る人にとっては「心豊かで満ち足りた暮らし」になり得る。

 

(7)人間の幸不幸を最終的に決めるのは,境遇や運命ではなく心の持ち方なのだから,自分の心の持ち方を変えることにこそ,時間やエネルギーを使うべきである。

①幸せを感じたり,自分の人生に満足したりすることと境遇は,ほとんど無関係である。

②不機嫌であるということは,一種の迷惑行為,社会人としてのマナー違反である。

③人生は,物事の受け止め方次第,心の持ち方次第でまったく別のものになってしまう。

④人間の幸不幸を最終的に決めるのは,境遇や運命ではなく,心の持ち方である。

⑤自分の心の持ち方を変えることにこそ,時間やエネルギーを使うべきである。

 

(8)上の空で生きることをやめ,今この瞬間を決して疎かにすることなく常に心を込めてマインドフルに生きるということは,幸せであるための重要なポイントと言える。

①上の空で生きていたのでは,いま自分の目の前にある幸せに気付くことさえ難しい。

②「小さな幸せ」に気付けるようになるためには,常にマインドフルである必要がある。

③今この瞬間の掛け替えのなさを常に念頭に置きながら生活することの大切さ。

④外界に対してのみならず,自分自身に対しても常にマインドフルであることの大切さ。

⑤今この瞬間を疎かにしないということは,幸せであるための重要なポイントと言える。

 

(9)自分が幸せであることに気付けるようになるためには,世の中の肯定的な側面にこそ意識的かつ積極的に目を向け,世の中を肯定的に捉えられるようになる必要がある。

①世の中の否定的な側面のみならず,肯定的な側面にも広く公平に目を向けること。

②世の中の肯定的な側面にこそ意識的かつ積極的に目を向ける習慣を身に付けること。

③老いることや病気になることや死ぬことにさえ,肯定的な側面はある。

④私たちの心には生まれ付き,全体のバランスを取ろうとする特性が備わっている。

⑤幸せになることを望むのであれば,不退転の決意で忍耐強く,自分が頑張るしかない。

⑥たとえどのような逆境にあったとしても,幸せになることは誰にでも可能である。

⑦たとえどのような困難や苦労に見舞われたとしても,人生に絶望してはいけない。

⑧世の中を肯定できるということは,私たちが幸せであるための必須条件と言える。

 

 

2 幸せであることを大前提として,いかに生きるべきなのか

 

《なぜ幸せであることが人生の大前提なのか》

 

10)幸せであることは,全人類共通の望みであるとともに,有益無害な人生を送ることを望む真っ当な社会人にとっての義務であり,人生の大前提であると言える。

①幸せであることは全人類共通の望みであり,誰もが幸せであることを望んでいる。

②幸せであることは,有益無害な人生を送ることを望む真っ当な社会人の義務である。

③幸せであることは,人生のゴールではなく,人生のスタートライン(大前提)である。

 

《幸せであることを大前提として,いかに生きるべきなのか》 

 

11)自分を人間的に成長・向上させ続けながら,他者と仲良く助け合い,生きる喜びや幸せを分かち合って生きるのが,人間として自然で真っ当な生き方である。

①自分を人間的に成長・向上させ続けながら,他者と仲良く助け合って生きること。

②自分を人間的に成長・向上させ続け,思い残すことのない充実した人生を送りたい。

③他者を競争相手ではなく協力相手と見なし,仲良く助け合いながら生きていきたい。

④この宇宙に存在するすべての物は,深いところでつながり,影響を与え合っている

⑤どんなに小さな物の中にも,この宇宙全体を知る何らかの手掛かりが隠されている。

⑥豊かで安全で便利な社会においては,他者はパイを奪い合う敵になってしまう。

⑦人間は独りでは生きていられないという事実を心に深く刻み付けることの大切さ。

⑧他者を信頼するとともに,他者と相互に依存し合える関係になることの大切さ。

 

《どのようにすれば自分を人間的に成長・向上させ続けることができるのか》 

 

12)自分を人間的に成長・向上させ続けるためには,自分の成長可能性を信じ続けるとともに,慢心することなく,自分の経験などから謙虚に学び続けることが重要である。

①自分の成長可能性を信じ続けるとともに,初心を忘れずに謙虚さを保ち続けること。

②成長・向上するにつれ,ますます謙虚になっていくのが人間の本来あるべき姿である。

③慢心すれば独善に陥る危険性が高まるが,独り善がりな善意ほど怖いものはない。

④慢心した人間は,生半可な知識を得て何でも知っているつもりになりがちである。

⑤有名人が知ったか振りをすれば,世論が間違った方向に導かれてしまう危険性がある。

⑥人間は自惚れやすい生き物であるという自覚を常に持っていることの大切さ。

⑦自分の経験からのみならず,他者や先人の経験などからも学び続けることの大切さ。

⑧学んで得られた知識は,「生活の知恵」として体得され,実践されてこそ意味がある。

⑨各子供が本当に必要としている知識を体得させることにこそ教育の主眼を置きたい。

⑩物事に粘り強く取り組み続けられる人間が正しく評価される社会になってもらいたい。

 

(13)自分を人間的に成長・向上させ続けるためには,自分が好きなことを見付け,そこに見いだした目標や理想に近づくための努力を楽しめるということが重要である。 

①自分が好きなことを見付け,長年にわたって怠ることなく努力し続けることの大切さ。

②何事も,嫌々やるのではなく,是非とも楽しみながら全力で前向きに取り組みたい。

③自分が信じる目標や理想がなければ,あてもなく彷徨い続けることになってしまう。

④人生に掲げる目標や理想は,大きければ大きいほど,高ければ高いほど望ましい。

⑤人生に掲げる目標や理想は,自分の意志や努力次第で実現可能なものにすべきである。

⑥人生に掲げる目標や理想は,常に見直され,より善いものに修正されるべきである。

 

(14)他者との勝負や他者からの評価に気を散らすことなく,自分が信じる目標や理想に向かって前進し続けることなどにこそ,限りある大切な時間やエネルギーを使いたい。

①自足しながらも,謙虚さや向上心を失うことなく,人間的に成長・向上し続けること。

②成長・向上し続けるために,他者に勝ったり他者から評価されたりする必要はない。

③社会的な成功ではなく,実り多い幸せな人生を送ることをこそ目指すべきである。

④好きなことに打ち込めている人間が社会的な成功まで求めるのは,欲張り過ぎである。

⑤他者に勝とうが負けようが,人間は生きているというだけで価値があるのである。

⑥誰もがその価値を十分に認められ,誇りを持って暮らせるような社会であって欲しい。

⑦毀誉褒貶に一喜一憂しないでいられるだけの鈍感さや図太さを身に付ける必要がある。

⑧悪口を言われたり侮辱されたりしても相手にせず,「河童の屁」と思っていればいい。

⑨なるべく目立たないように慎み深く控え目に生きるのが,最も賢明な生き方と言える。⑩世の中を支えているのは,舞台裏で人知れず黙々と努力している無名の人たちである。

11 何事も自分の頭でしっかり考え,判断し,主体的に行動できるようになりたい。

12 有名人が扇動すれば,一時的にせよ多数の人間が間違った方向に誘導されてしまう。

13 自分が信じる目標や理想に向かって前進し続けることなどにこそ,力を尽くしたい。

14 他者との勝負や他者からの評価などには余り気を散らさないようにしたい。

 

(15)人生に行き詰まってしまった場合には,その主たる原因や責任は自分にあると考え,自分を変えることによって人生の行き詰まりを打開することを目指すべきである。

①他者や社会のせいにしている限り,人生の行き詰まりを打開することはできない。

②人生の行き詰まりの主たる原因や責任は,他者や社会にではなく自分にあると考えよ。

③他者や社会や世の中を変えたいと思うのであれば,まずは自分が変わる必要がある。

 

《どのようにすれば他者と仲良く助け合い,生きる喜びや幸せを分かち合うことができるのか》 

 

16)他者と仲良く助け合い,生きる喜びや幸せを分かち合うためには,まずは自分が幸せである必要があり,自分と他者が共に幸せになれる道をこそ選択すべきである。

①他者と助け合い,幸せを分かち合うためには,まずは自分が幸せである必要がある。

②他者の幸せを願うのであれば,自分と他者が共に幸せになれる道を選ぶべきである。

 

(17)人間関係においては,相手の心の中に住む善人に目を向け,相手と融和することや,同じ人間同士として,共感的かつ寛容に対応することをこそ心掛けるべきである。 

①誰の心の中にも善人と悪人が同居しており,私たちは善人にも悪人にもなり得る。

②自分の心の中に善人と悪人が同居しているということを忘れないようにしたい。

③私たちが他者をどのように見るかによって,その他者は悪人にも善人にもなり得る。

④人間関係はお互い様であり,どちらか一方だけが悪いなどということは余りない。

⑤敵対する相手とは意味のある対話が成り立たず,対話は不毛なものになりがちである。

⑥他者の心の中に住む善人に目を向け,他者と融和することをこそ心掛けるべきである。

⑦他者が失敗や過ちを犯した際には,共感的かつ寛容な対応を心掛けるべきである。

⑧他者を否定したり,非難したりするようなことは,極力控えるべきである。

 

(18)他者と仲良く助け合い,生きる喜びや幸せを分かち合えるようになるためにも,自分の人生に満足できているようになるとともに人生の指針を明確化する必要がある。

①他者との勝ち負けにこだわり,他者と敵対するようになってしまうことの愚かしさ。

②自分の人生に満足できるようになるとともに人生の指針を明確化させることの大切さ。

 

(19)困っている他者や苦しんでいる他者の手助けを慎み深く行うことは,他者と支え合い,助け合ってこそ生きていられる私たち人間にとっての,当然の務めである。

①不幸な状況から抜け出せずにいる他者に対しては,できる限りの手助けをしたい。

②困り,苦しんでいる他者の手助けをすることは,人間としての当然の務めである。

③手助けは,何よりも相手の自信や主体性などを大切にしながら行われるべきである。

④他者を益する行動は,回り回っていつかは必ず自分を益することにつながってくる。

 

 

3 その他

 

《未来を担う子供たちに対する大人の務めとは》

 

(20)自分の生き様を通して,真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな生き方の手本を示すことこそが,未来を担う子供たちに対する大人の務めである。

①実り多い幸せな生き方の手本を示すことこそが,子供たちに対する大人の務めである。

②子供たちには,自分が犯した失敗や過ちから様々なことを学ぶ権利がある。

③民主主義の下では,国民は自分の失敗や過ちから様々なことを学ぶことが可能である。

④大人が善い手本を示さなければ,子供たちが実り多い幸せな人生を送ることは難しい。

⑤まずは大人が,「今だけカネだけ自分だけ」といった生き方を改める必要がある。

 

《どのような社会の実現を目指すべきか》

 

(21)社会の進歩・発展や物質的な豊かさをある程度は犠牲にしてでも,誰もが心豊かに実り多い幸せな人生を送れるような節度ある豊かな社会の実現を目指すべきである。

①社会の進歩・発展と私たちの幸福度や礼節の度合いは,本当に比例しているのか。

②物質的な豊かさではなく,心の豊かさを追い求める方向に大きく舵を切るべきである。

③節度ある豊かな社会において心豊かに暮らせるようになることを目指すべきである。

④どのような経済格差社会に暮らそうとも,実り多い幸せな人生を送ることはできる。

⑤お金は人生の手段であるに過ぎず,私たちはお金を稼ぐために生きているのではない。

⑥お金がすべの世の中においては,誇りを持って幸せな人生を送ることができない。

⑦お金では買えないものの大切さに気付けないということは,不幸以外の何物でもない。

 

 

(後書き)人生の真理は,本来単純明快なものであるとともに,すでに言い尽くされており,また,何一つ隠されることなく,いつでも私たちの目の前に開示されている。

①人生の真理というものは,本来単純明快なものであり,すでに言い尽くされている。

②人生の真理に古いも新しいも,東も西もなく,人生の真理は全人類の共有財産である。

③人生の真理は何一つ隠されることなく,いつでも私たちの目の前に開示されている。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1405】

「(明治時代初期の日本においては)金持ちは高ぶらず,貧乏人は卑下しない。実に,貧乏人は存在するが,貧困なるものは存在しない。(バジル・ホール・チェンバレン)」(『世界が憧れた日本人の生き方』,天野瀬捺,ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

 

○私たちは,お金というものに価値を置き過ぎなのではないでしょうか。お金に価値を置き過ぎているからこそ,金持ちこそが人生の勝者(「勝ち組」)である,金持ちにならなければ幸せになれないなどと勘違いしてしまうのではないでしょうか。そして,金持ちではない自分を人生の敗者(「負け組」)と思い込み,卑屈になってしまったり,金持ちではない自分を不幸であると思い込み,人生に絶望してしまったりするではないでしょうか。しかし,実り多い幸せな人生を送れるかどうかは,持っている金銭の多寡によって決まるわけではありません。実際,経済的には貧しく,質素な暮らしを送りながらも,心豊かに実り多い幸せな人生を送ることは十分に可能ですし,経済的には豊かで,贅沢な暮らしを送りながらも,その人間が必ずしも心豊かに実り多い幸せな人生を送っているとは限りません。お金など本当は,生きていくのに最低限必要な程度の額にプラスして将来の不安を解消するために最低限必要な額が確保できれば,それで十分なのではないでしょうか。自分は人生の敗者である,自分は不幸であるなどと思い込まないようにするためにも,お金などに執着することなく,真に人間らしく実り多い(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送ることにこそ,関心を払い,力を注げるようになるたいものです。(14)(21)関連

(14)⑦毀誉褒貶に一喜一憂しないでいられるだけの鈍感さや図太さを身に付ける必要がある。

 他者からの評価など,そのほとんどは噂(うわさ)の域を出ず,「昨日の友は今日の仇(あだ)」,「昨日の敵は今日の味方」などとも言うように,ちょっとしたことですぐに手のひら返しに変わってしまうような無責任でいい加減なものです。さらに言えば,私たちは自惚(うぬぼ)れやすく,自分は周りの人たちから評価され,期待されている,自分がいなくなったら周りの人たちが困り,悲しむなどと勘違いしがちですが,実際には,周りの人たちは私たちが思っているほどには私たちを評価も期待もしていませんし,私たちに対して関心さえそれほど持っていません。それは,私たちが周りの人たちに対してそれほど関心を持っていないのと同じです。私たちがいなくなっても,周りの人たちはそれほど困りませんし,悲しむとしても,それはほんの一時のことです。私たちがいなくなっても,周りの人たちはこれまでどおり普通に生きていきますし,地球もこれまでどおり普通に回り続けます。そのような人たちに評価されないからといって落ち込んだり,評価されたからといって有頂天になったりすることほど馬鹿馬鹿しいことはないのではないでしょうか。毀誉褒貶(きよほうへん)に一喜一憂する必要など,まったくありません。むしろ,私たちは,毀誉褒貶に一喜一憂しないでいられるだけの鈍感さや図太さをこそ身に付ける必要があるのではないでしょうか。

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1404】

「単純なものこそ,変わらないもの,偉大なるものの謎を宿している。(マルチン・ハイデッガー)」(『ことばへの旅(上)』,森本哲郎PHP研究所

 

 

○私たちは,複雑難解なものを高級・高尚なものとして重んじ,単純明快なものを低級・低俗なものとして軽んじがちですが,人生の真理というものは本来単純明快なものなのではないでしょうか。また,人生の真理は何一つ隠されることなく,諺(ことわざ)や格言や名言といった簡単明瞭な形で,いつでも私たちの目の前に開示されているのではないでしょうか。人生の真理はいつでも私たちの目の前に開示されているにもかかわらず,私たちは,心の目の曇りゆえに,それらの深意(真意)を理解したり,それらの重要性に気付いたりできないだけなのではないでしょうか。人生の真理を体得・実践することによって実り多い幸せな人生を送れるようになるためにも,表面的な複雑難解さや単純明快さに惑わされることなく,また,肥大化した欲望(必要以上に欲張る気持ち)やデマに基づく迷信(他者と競い合って社会的な成功を収め,財産や地位や権力や名声などを手に入れなければ幸せになれない,生き残れないなどといったデマに基づく間違った思い込み)や拝金主義のような偏ったものの見方・考え方などによって心の目を曇らせることなく,真理を真理であると見抜き,見分けられるだけの眼力(見識)を人生のできる限り早い時期に身に付けたいものです。(後書き)関連

(14)⑥誰もがその存在価値を認められ,誇りを持って暮らせるような社会であって欲しい。

 人間は生きているというだけで十分に存在価値があるのであり,他者に勝とうが負けようが,そんなことは人間の存在価値とは無関係なのですから,子供たちに対しても,大人は子供たちをあるがままに受け入れ,その存在価値を認めてあげればいいのであって,子供たちに勝敗や優劣を競わせて(例えば,頭の回転(知的処理能力)の速さや頭に詰め込んだ知識の量などを競わせて)選別したり,順位付けたりするようなことはやめるべきなのではないでしょうか。才能(知能の高さなども含め。)の有無などとは関係なく,すべての人間が,その存在価値を認められるとともに,自分でも自分の存在価値を実感しながら誇りを持って暮らせるような社会であって欲しいものです。現在は「負け組」などと呼ばれている人たちが,その存在価値を否定されたり,自分でも自分の存在価値を実感できなかったりするような社会にだけは,絶対になって欲しくないと思います。

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1403】

「生命は自分だけで完結できないように作られているらしい」,「この世界の中で私たちはそれと気づかぬうちに,おたがいの命の欠如を満たし合っています。」,「一つひとつの命は,他者の総和の中に生かされています。このようなゆるやかに,しかし,確かにつながっている大きな命の世界をみつめ,その中に自分が生かされていることを自覚しつつ,あらためて人格の尊厳について深く考えてみたい」(『もういちど読む山川倫理 PLUS 人生の風景編』,小寺聡編,山川出版社

 

 

○私たちはこの世の中(世界・宇宙)を構成している一部分なのであり,この世の中と無関係に生きていくことはできません。実際,私たちは,大自然(人体も含め。)の恵みによって生かされているのであり,数知れぬ他者の直接的又は間接的な支えや助けがあればこそ生きていられるのです。自己完結的に,たった独りで生きていくことなど絶対にできません。この事実を正しく認識するなら,自然環境に過大な負荷をかけないような生き方,他者を競争相手(敵)ではなく協力相手(味方・仲間)と見なして仲良く助け合ったり,生きる喜びや幸せを分かち合ったりするような生き方こそが,人間にとって自然で真っ当な生き方であるということがよく分かるはずです。自然環境に過大な負荷をかけるということは自分で自分の首を絞めることに他なりません,他者と足を引っ張り合ったり,パイを奪い合ったりするような生き方は,同じ人間の右手と左手(右足と左足,右目と左目,上の歯と下の歯)が互いに敵対し,妨害し合うことに他なりません。このことをしっかり肝に銘じた上で,くれぐれも間違った生き方を選択しないようにしたいものです。(11)(19)関連

(14)⑤他者に勝とうが負けようが,人間は生きているというだけで十分に価値がある。

 他者との勝負など,しょせんは「団栗(どんぐり)の背比べ」,「五十歩百歩(五十歩をもって百歩を笑う)」であるに過ぎません。また,私たちは,他者と支え合い,助け合ってこそ生きていられるのであり,その意味で私たちと他者は一体なのですから,本来は勝ちも負けもないはずです。「勝ち組」・「負け組」などという言葉もありますが,人生の目的は他者に勝つことではありませんし,改めて言うまでもなく,「勝ち組」になることと実り多い幸せな人生を送ることは,まったく別のことです。むしろ,他者との勝負に執着すればするほど,人生は不毛で無益なものになり,幸せからは遠ざかってしまうのが普通です。にもかかわらず,他者と競い合って社会的な成功を収めた人間を人生の勝者と見なし,社会的な成功を収められなかった人間を人生の敗者と見なす現代社会の風潮は,いったい何に由来するのでしょうか。そもそも,大病を患えば誰もが実感するように,生きているということは一つの奇跡(奇跡的な恵み)であり,それ自体,心から感謝すべき有り難いことなのですから,他者に勝とうが負けようが,そんなことで人間としての存在価値が変わるなどということはあり得ません。人間は生きているというだけで十分に価値があるのであり,生きている人間同士の間に価値の差などありません。命の目方はみんな同じです。私たちは他者や社会のお陰で(さらに言えば,大自然の恵みによって)生きていられるのですから,多少なりとも他者や社会の役に立ちたい(できり限り他者や社会に迷惑を掛けたくない)と望むのが自然であるとは思いますが,たとえ他者や社会の役に立てなかったとしても(たとえ他者や社会に迷惑を掛けてしまったとしても),そのことで,存在価値がなくなったり,低下したりするなどということもあり得ません。

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1402】

「充ち足りてしあわせな人間ほどうつくしく見える者はいない」(『三屋清左衛門残日録』,藤沢周平文藝春秋

 

 

○同じような境遇にありながら,その境遇に満足し,感謝する気持ちを忘れることなく,常に満ち足りた気持ちで機嫌よく笑顔で暮らしている人もいれば,その境遇に満足せず,感謝する気持ちを忘れ,常に不満を抱えながら不機嫌にしかめっ面で暮らしている人もいます。そして,前者は周りの人たちをも楽しい気持ちにさせ,機嫌よくさせる傾向があるのに対し,後者は周りの人たちをも不愉快な気持ちにさせ,不機嫌にさせる傾向があります。また,前者は,自分の幸せのみならず他者の幸せをも願い,喜び,不幸な状況にある他者が幸せになるための手助けを積極的に行う傾向があるのに対し,後者は,他者の幸せを妬み(他者の不幸を願い,喜び),他者をも自分と同じような不幸な状況に巻き込もうとする傾向があります。後者のような人生や生き方ではなく,前者のような人生や生き方を望むのであれば,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに常に深く思いを致し,心から感謝する習慣を身に付けるなどして,どのような境遇にあっても(たとえどのような逆境にあったとしても)常に満ち足りた気持ちで機嫌よく笑顔で暮らせるようになる必要があるのではないでしょうか。(1)(2)(3)(7)(10)(16)関連