実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1465】

「一日真似(まね)れば一日の真似,二日真似れば二日の真似,一生真似れば本物になる」(『道元禅師(下)』,立松和平,新潮社)

 

 

○この世の中に完全な善人(生まれ付きの善人)や完全な悪人(生まれ付きの悪人)などいません。どのような善人の心の中にも悪人が住んでいますし,どのような悪人の心の中にも善人が住んでいます。例外はありません。善人の真似(まね)をし,善人を前面に押し出して善人として振る舞い続ける人間は善人と呼ばれ,悪人の真似をし,悪人を前面に押し出して悪人として振る舞い続ける人間は悪人と呼ばれるというだけの話です。しかし,善人として振る舞い続けるのと,悪人として振る舞い続けるのとでは,結果的に人生はまったく別のものになってしまいます。自分の一生を台無しにしないためにも,どちらが自分にとって本当に得な生き方か,くれぐれもその判断を間違わないようにしたいものです。また,他者を厳しく責め立てそうになってしまった際には,自分の心の中に住む悪人やその他者の心の中に住む善人を是非とも思い出すようにしたいものです。(17)関連

(4)④欲張り続ける限り,ままならない人生に不平不満を募らせるだけになってしまう。

 欲張り続ける限り,たとえどのような恵まれた境遇に身を置いていたとしても,私たちはそれをすぐに当たり前のことと思い,飽き足りなくなってしまいます。実際,私たちが暮らしている社会は,人類史上最も豊かで安全で便利な社会と言えますが,私たちは,そのような社会で暮らしながらも,自分の人生に満足し,感謝するどころか,不平不満ばかりを募らせてしまいがちです。暖衣飽食(飽衣美食)の生活を送る中で,大抵のことは自分の思い通りになると勘違いするようになってしまい(何事も自分の思い通りにしたいと欲張るようになってしまい),結局は,ままならない人生に対する不平不満ばかりを募らせては自分は不幸であるなどと思い込むようになってしまいがちです。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1464】

「世のなかには善人とか悪人とかがあるわけではおそらくあるまい。ただ場合によって善人になったり悪人になったりするだけである。(アンリ・ド・レニエ)」(『心をささえる一言』,河盛好蔵青春出版社

 

 

○私たちの心の中には善人と悪人が同居しています。善人の真似(まね)をし,自分の心の中の善人を前面に押し出し,善人として振る舞い続ければ善人と呼ばれ,悪人の真似をし,自分の心の中の悪人を前面に押し出し,悪人として振る舞い続ければ悪人と呼ばれる,というだけの話です。この世の中に完全な善人,完全な悪人などいませんし,生まれ付きの善人,生まれ付きの悪人などいません。どのような善人の心の中にも悪人は住んでいますし,どのような悪人の心の中にも善人は住んでいます。善人として(善人を前面に押し出して)生きるか,悪人として(悪人を前面に押し出して)生きるかは,最終的には自分次第です。どちらの生き方が自分にとって本当に得な生き方なにか,くれぐれもその判断を間違わないようにしたいものです。なお,長年悪人として振る舞い続けていると自分の心の中に善人が住んでいることを忘れてしまいがちですが,人生に絶望しないようにするためにも,自分の心の中には悪人だけでなく善人も住んでいることを決して忘れないようにしたいものです。同様に,長年善人として振る舞い続けていると自分の心の中に悪人が住んでいることを忘れてしまいがちですが,謙虚さや他者に対する寛容さを失わないようにするためにも,自分の心の中には善人だけでなく悪人も住んでいることを決して忘れないようにしたいものです。(17)関連

(4)③欲張り続ける限り,他者はパイを奪い合う敵であり続け,自然環境も破壊され続ける。

 欲張り続ける限り,私たちは,他者を競争相手(有限のパイを奪い合う敵)と見なさざるを得なくなってしまいます。そして,他者の肯定的な側面ではなく,他者の否定的な側面ばかりに目を向けては,他者を嫌い,他者を憎み,他者と敵対するようになってしまいます。また,誰もが欲張り続ければ,必然的に,経済格差(貧富の差)が拡大するとともに,自然環境を破壊したり,生態系のバランスを崩したりする危険性も高まります。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1463】

「幸せな人生を送るための必須条件は,感謝の心を持つことだ。感謝の心を持てば,ふだん受けている多くの恩恵に気づいて喜びにひたることができる。(ジェイムズ・ファウスト)」(『感謝の習慣』,スコット・アラン,弓場隆訳,ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

 

○幸せとは,自分が幸せであることに気付くことである,と言います。私たちは本来,生きているというだけですでに十分に幸せなのではないでしょうか。そして,そのことに気付くことさえできれば,私たちは今すぐにでも幸せになれるのではないでしょうか。私たちが今ここでこうして生きていられることは,決して当たり前のことではありません。一つの奇跡であり,心から感謝すべき有り難いことです。実際,大自然(人体も含め。)の恩恵(大自然の神秘的とさえ言える精妙な仕組みや働き)によって私たちは生かされているのであり,目に見える直接的なものも目に見えない間接的なものも含め,数知れぬ他者の支えや助けがあればこそ私たちは生きていられるのです。自分がすでに十分に幸せであることを忘れないようにするためにも,すなわち,無意味に不平不満を募らせることなく,常に満ち足りた気持ちで幸せな人生を送れるようになるためにも,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに常に深く思いを致し,心から感謝する習慣を,是非とも身に付けたいものです。(1)(2)(4)(6)(11)(14)(20)関連

(4)②欲張り続ける限り,いつまでたっても私たちの心が満ち足りるということはない。

 人間の欲望には際限がありませんので,欲張り続ける限り,たとえどれだけ多くのものを,たとえどれだけ贅沢(ぜいたく)な暮らしを手に入れたとしても,私たちの心が満ち足りるということはありません。欲張り続ける限り,欲しいものは次から次へと現れてくるため,喉の渇きが水を飲むことによって簡単に癒やせるのとは異なり,いつまでたっても自分の人生に満足することができませんし,自分が持っているもの(自分に与えられているもの)の豊かさに気付いたり,自分がそれらのものを持っていることの有り難さに感謝したりすることもできません。結局は,生きていくのに必要なものはすでに十分に持っているにもかかわらず,常に不満を抱えたまま,死ぬ瞬間まで,自分の欲望に追い立てられ,振り回される形で,より多くのもの(生きていくのに必要以上のものまで)やより贅沢な暮らしを追い求めてあくせくし続けることになってしまい,心は貧しいままです。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1462】

「感謝の心をはぐくめば,ありふれた一日でも充実した一日になり,平凡な仕事でも喜びにあふれた活動になり,普通の機会でも大きな恩恵をもたらす出来事になる。(ウィリアム・アーサー・ウォード)」(『感謝の習慣』,スコット・アラン,弓場隆訳,ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

 

○私たちは自分が今ここでこうして生きていられることを当たり前のことと思いがちですが,決して当たり前のことではありません。私たちは大自然(人体も含め。)の恵み(大自然の神秘的とさえ言える精妙な仕組みや働き)によって生かされているのであり,目に見える直接的なものも目に見えない間接的なものも含めて数知れぬ他者の支えや助けがあればこそ生きていられるのです(実際,生存に欠かせない衣・食・住のどれ一つを取っても,完全に自給自足できている人間などいないはずです。)。自分が今ここでこうして生きていられるということは,一つの奇跡であり,心から感謝すべき有り難いことです。その事実を決して忘れないようにしたいものです。自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに常に深く思いを致し,心から感謝する習慣を身に付けるなら,私たちはきっと,自分の人生に無限と言ってもいいほどの生きる喜びや幸せを見いだせるようになり,生きていることそれ自体に幸せを感じられるようになるはずです。そして,生きていることそれ自体に幸せを感じられるようになるなら,私たちはきっと,たとえどのような逆境にあったとしても,たとえどのような不運に見舞われたとしても,生きている限りは幸せであり続けることが可能になるはずです。(1)(2)(4)(6)(11)(14)関連