実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(4)①人間の欲望には際限がなく,人間は生きていくのに必要なものだけでは満足できない。

 欲望は生の証(あかし)であり,欲望を満たそうとすることは生き物にとって自然なことです。しかし,人間の欲望は苦しみや悲しみの種でもあります。「欲に限りなし」,「欲に頂なし」,「欲に底なし」,「思う事一つ叶(かな)えばまた一つ」,「千石取れば万石望む(千石を取れば万石を羨む)」,「持てば持つほど欲が出る」などと言うように,人間の欲望は必ずしも本能(自然)に基づくものではないだけに,際限がなく,放って置けばとどまる所を知らず,どこまでも肥大化していくからです。経済成長を促すべく,人々の欲望の肥大化を歓迎したり,奨励したり,そそのかしたりする社会にあっては,なおさらです。「人は足るを知らざるを苦しむ」とも言うように,人間が他の生き物と最も異なるところは,生きていくのに必要なものだけでは満足できず,必要以上のものまでを欲しがり,その結果,不満(怒りの火種)ばかりを募らせてしまうところと言えるのではないでしょうか。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1461】

「おいらあね,政治でもなんでも,一人残らず敵になってくれなくちゃあ,思うような仕事は出来ねえと考げえている。こっちに赤誠というせえあれあ,そ奴(いつ)が何よりの相棒だよ。みんなによく思われ,惚(ほ)れられて,なにが出来るえ」(『勝海舟(二)』,子母沢寛,新潮社)

 

 

○日本人は他者からの評価を過度に気にしやすい国民である言われてていますが,他者からの評価など,そのほとんどは噂(うわさ)の域を出ず,ちょっとしたことですぐに手のひら返しに変わってしまうような無責任でいい加減なものです。そんなものに振り回されて,自分が本当にやりたいと思える好きなことを見付け損なってしまったり,諦めてしまったり,自分の信念を捻(ね)じ曲げてしまったり,自分が本当に信じることのできる目標や理想を見失ってしまったり,自分が進むべき道を前進し続けることを後回し(先延ばし)にしてしまったりしたとしたら,私たちはきっと,自分の人生に大きな悔いを残すことになると思います。自分の可能性を十分に花開かせるとともに多少なりとも他者や社会の役に立ち,思い残すことのない充実した有益な人生を送りたいと望むのであれば,他者からの評価などに気を散らすことなく,自分が本当にやりたいと思える好きなことを見付け,それに打ち込むことや,自分の信念や自分が本当に納得することのできる(自分に恥じることのない)生き方を貫き通すことや,自分が信じる目標や理想に向かって自分が進むべき道を自分の歩幅で一歩ずつ前進し続けることなどにこそ,気持ちを集中し,限りある大切な時間やエネルギーを使うべきなのではないでしょうか。(14)関連

(3)③暮らしやすい社会を実現し,有益無害な人生を送るためにも,幸せである必要がある。

 自分は不幸であると思い込んでいる人間は,自傷他害的な行動に出がちですが,そのような有害無益な人生ではなく,自分を大切にし,正しい道を歩み続けながら(正しい道に踏みとどまりながら),自分の幸せのみならず他者の幸せをも願い,喜び,不幸な状況にある他者が幸せになるための手助けを行うような有益無害な人生を送れるようになるためにも,また,世の中をもっと善意に満ちた寛容で和気藹々(わきあいあい)とした暮らしやすいものにするためにも,私たちは幸せである必要があるのではないでしょうか。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1460】

「世の中の人は皆,幸福を求めているが,その幸福を必ず見つける方法が一つある。それは,自分の気の持ち方を工夫することだ。幸福は外的な条件によって得られるものではなく,自分の気の持ち方一つで,どうにでもなる。」,「人間は,心がけたとおりになるものである。」,「およそ,人は,幸福になろうとする決心の強さに応じて幸福になれるものだ(リンカーン)」(『人を動かす』,D・カーネギー, 山口 博訳,創元社

 

 

○たとえどのような逆境(恵まれない境遇)にあったとしても,自分は幸せであると心の底から思えるなら,他者の目にどのように映ろうともその人は確かに幸せなのです。逆に,たとえどのような順境(恵まれた境遇)にあったとしても,自分は幸せであると心の底から思えないなら,他者の目にどのように映ろうともその人は確かに幸せではないのです。要するに,人間の幸不幸は境遇(過去の経験や遺伝や環境など)によって決まるのではなく,心の持ち方(心構えや心掛けなど)によって決まるということです。実際,「生きてるだけで丸儲(まるもう)け」(さんま)と心の底から思えるなら,私たちはたとえどのような逆境にあったとしても,たとえどのような不運に見舞われたとしても,生きている限りは幸せであり続けられるのではないでしょうか。恵まれた境遇を手に入れることにではなく(あるいは,恵まれない境遇を呪ったり,嘆き悲しんだりすることにではなく),どのような境遇にあっても幸せであり続けられるように(生きていることそれ自体に幸せを感じられるように)自分の心の持ち方を変えることにこそ,限りある大切な時間やエネルギーを使いたいものです。(前書き)(1)(4)(6)(7)(9)(21)関連

(3)②不幸な人間が増えれば増えるほど,世の中は不寛容で暮らしにくいものになっていく。

 自分の人生に満足することができず,自分は不幸であると思い込んでる人間は,他者を妬んだり,恨んだりしては他害的な行動に出やすいため,他者との間に友好的な協調関係を築くことが難しく,孤立無援の状態に陥ってしまいがちです。また,当然のことながら,そのような敵対的・排他的な人間が増えれば増えるほど,世の中は悪意に満ちた不寛容で殺伐とした暮らしにくいものになっていきます。なお,他害的な行動の背景には,被害体験が存在していることが多いものですが,被害体験が他害的な行動に直結するわけではありません。様々な被害体験を有しながらも,それらを乗り越えて有益無害な人生を送っている人は,いくらでもいます。

 

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1459】

「地球上にかつて生息したすべての生物はおそらく,最初に生命が吹き込まれたある一種類の原始的な生物から由来していると判断するほかない。(ダーウィン)」(『100分de名著 ダーウィン種の起源』』,長谷川眞理子NHK出版)

 

 

○この宇宙に存在するすべての物は,この地球上に生存する多種多様な生き物も含め,もとを正せば,たった一つの物が分化・発展する過程の中で派生してきた物と言えます。もともと一つの物だったわけですから,この宇宙に存在するすべての物は深いところではつながっており,また,一つの大きなシステムの部分同士として互いに影響を与え合っているはずです。したがって,例えば,私たちが自然環境に大きな負荷をかけ,生態系のバランスを崩すということは,言わば自分で自分の首を絞めているようなものです。私たちは,私たち自身のためにも,私たち人間の欲望ではなく,生態系のバランスを(さらに言えば,宇宙全体の調和や秩序を)保つことをこそ最優先させるべきなのではないでしょうか。そのためにも,「今だけカネだけ自分だけ」といった近視眼的・拝金主義的・利己的な考え方や生き方を,是非とも改めたいものです。(11)(21)関連

(3)①自分は不幸であると思い込んでいる人間は,自傷他害的な行動に出がちである。

 自分の人生に満足することができず,不平不満を募らせ,あるいは,失意失望の淵(ふち)に沈み,自分は不幸であると思い込んでいる人間は(自分がすでに十分に幸せであることに気付けない人間は),「道を踏み外しても失うものは何もない」と勘違いしていることもあり,ちょっとしたことで自暴自棄になっては道を踏み外してしまいがちです。また,自分と他者を比較しては自分より幸せそうに見える他者を妬んだり,自分が不幸であることを他者のせいにしては勝手に被害感を募らせて他者を恨んだりした挙げ句,他者をも自分と同じような不幸な状況に巻き込もうとしがちです。具体的には,内面に鬱積されている不平不満,妬みそねみ,恨みつらみといった感情の捌(は)け口を求めるようにして,弱い者いじめをしたり,陰に回って他者の足を引っ張ったり,他者に非があると一方的に決め付けてはその他者を不寛容に責め立てたり,場合によっては他者に対して直接的な危害を加えたりしてしまいがちです。