実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 人生は,すなわち,私たちがこの世の中で生きることのできるチャンスは,たった一度きりです。せっかくなら,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたいものです。そして,できることなら,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な人生を送りたいものです。    私たちの土台を作っているのは,過去の経験,さらに言えば遺伝です。また,私たちが環境から受ける影響もけっして小さくありません。しかし,それらによって私たちの人生のすべてが決まってしまうわけではありません。私たちは過去の経験や遺伝や環境の奴隷ではありません。実際,過去を変えることはできませんが,現在や未来なら,自分の意志や努力によって変えることが可能です。また,環境を自分の思い通りに変えることはできませんが,自分を変えることは自分の意志や努力次第です。どのような過去を持とうが,どのような環境に置かれようが,どのような現在・未来を実現しようとするのか,どのような心構えや心がけで生きていくのかを決めるのは自分なのですから,自分の人生に責任を持つ覚悟や,人生を自分の努力によって切り開いていこうとする強い意志がある限り,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であると私は信じています。        皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

【実り多い幸せな人生に関する名言等 903】

「あなたがたの中で罪のない者が,最初に彼女(姦通という罪を犯した女性)に石を投げなさい。(イエス)」(『新約聖書』,新約聖書翻訳委員会訳,岩波書店

 

○失敗や過ちを犯さない人間はいませんし,人間が犯す失敗や過ちのほとんどは,誰もが犯す可能性のあるものばかりです。したがって,他者が犯した失敗や過ちを不寛容に責め立てるということは,自分もいつか他者から不寛容に責め立てられるということに他なりません。そのような不寛容でとげとげしく殺伐としたり社会で暮らしたくない(もっと寛容で温かみや潤いのある和気藹々(わきあいあい)とした社会で暮らしたい)と願うのであれば,私たちは,他者に対してもっと寛容であるべきなのではないでしょうか。たとえ他者が失敗や過ちを犯したとしても,見下したり,嘲笑したり,鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てたり,正義を振りかざして不寛容に責め立てたりするのではなく,「罪を憎んで人を憎まず」,「正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい」(吉野弘)という精神・姿勢を忘れることなく,罪の償いはしてもらい,その責任は取ってもらいながらも,同じ人間同士として,相手の人間的な成長や更生の可能性を信じ,できる限り共感的かつ寛容な態度で向き合うことを心がけたいものです。(3)(17)関連