「あなたがたの中で罪のない者が,最初に彼女(姦通という罪を犯した女性)に石を投げなさい。(イエス)」(『新約聖書』,新約聖書翻訳委員会訳,岩波書店)
○失敗や過ちを犯さない人間はいませんし,人間が犯す失敗や過ちのほとんどは,誰もが犯す可能性のあるものばかりです。したがって,他者が犯した失敗や過ちを不寛容に責め立てるということは,自分もいつか他者から不寛容に責め立てられるということに他なりません。そのような不寛容でとげとげしく殺伐としたり社会で暮らしたくない(もっと寛容で温かみや潤いのある和気藹々(わきあいあい)とした社会で暮らしたい)と願うのであれば,私たちは,他者に対してもっと寛容であるべきなのではないでしょうか。たとえ他者が失敗や過ちを犯したとしても,見下したり,嘲笑したり,鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てたり,正義を振りかざして不寛容に責め立てたりするのではなく,「罪を憎んで人を憎まず」,「正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい」(吉野弘)という精神・姿勢を忘れることなく,罪の償いはしてもらい,その責任は取ってもらいながらも,同じ人間同士として,相手の人間的な成長や更生の可能性を信じ,できる限り共感的かつ寛容な態度で向き合うことを心がけたいものです。(3)(17)関連