「誰かに起りうることは,誰にでも起りうるのだ。(プブリリウス・シルス)」(『ローマの哲人 セネカの言葉』,中野孝次,岩波書店)
○人間が犯す失敗や過ちは,そのほとんどが,誰もが犯す可能性のあるものばかりです。他者が失敗や過ちを犯した場合には,嘲笑したり,鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てたり,正義を振りかざして不寛容に責め立てたりするのではなく,同じ人間同士として常に共感的に,「罪を憎んで人を憎まず」という精神で,できる限り寛容かつ友好的な対応を心がけたいものです。不寛容に責め立てるだけでは,その相手の更生や成長をかえって阻害してしまう可能性が高いですし,他者を不寛容に責め立てるということは,いつか自分も他者から不寛容に責め立てられるということに他ならないからです。また,他者の不幸は,決して「対岸の火事」などではありません。「明日は我が身」です。私たちは,他者と支え合い,助け合ってこそ生きられるのであり,私たちと他者は本来一体なのですから,不幸な状態からなかなか抜け出せずにいる他者に対しては,自分が幸せであることの負い目を感じながら慎み深く自分にできる限りの手助けをしたいものです。「情けは人の為(ため)ならず」とも言うように,他者を大切にし,他者を益する行動は,回り回っていつかは必ず自分を大切にし,自分を益することにつながってくるはずです。(17)(19)関連