「市場社会の成員である個人は,資本主義的な拡大成長型経済を動かす歯車であり,ルーツも(コミュニティや自然との)つながりももたない。そのような個人はまた,広告の餌食となり,消費中毒になっている。」(『脱成長』,セルジュ・ラトゥーシュ,中野佳裕訳,白水社)
○人間の欲望には限りがありませんので,放って置けばどこまでも肥大化していきます。経済成長を促すべく欲望の肥大化を歓迎し,奨励し,そそのかすような社会にあっては,欲望はなおさら肥大化していきます。しかし,欲望が肥大化すればするほど,満足を得ることは難しくなり,幸せからは遠ざかってしまいます。そして,不平不満ばかりを募らせては自分は不幸であるなどと思い込むようにさえなってしまいます。他方,自分の欲望に自分の意志でブレーキを掛けることによって欲望の肥大化を抑え,自分をできる限り無欲・小欲の状態に近づけることができるなら,満足を得ることは格段に容易になります。たとえ必要最小限のものしか持っていなかったとしても,常に満ち足りた気持ちで幸せな人生を送ることが可能になります。経済成長のお陰で私たちの暮らしは物質的には非常に豊かになりましたが,私たちはそろそろ,物質的な豊かさをある程度は犠牲にしてでも,心の豊かさを追い求める方向に(私たちの幸福度を高める方向に)大きく舵(かじ)を切る必要があるのではないでしょうか。経済成長と私たちの幸福度が比例していないとしたら,これ以上経済成長することに(これ以上物質的に豊かになることに),いったいどのような意味があるのでしょうか。(4)(6)(21)関連