「「煽動政治家のひのき舞台は民主主義国だ」とジェームズ・フェニモア・クーパーは『アメリカン・デモクラット』の中で書いている。世論が力を持っていないところでは,世論を誤り導くものの役割はあり得ない。」(『マッカーシズム』,R・H・ロービア,宮地健次郎訳,岩波書店)
○私たちが人間的に成長(成熟)・向上し続けるためには,失敗や過ちから学ぶということが欠かせませんが,失敗や過ちが十分な学びの機会になり得るのは,その失敗や過ちが自分の自由意志に基づいて,あるいは,自分の責任においてなされた場合に限られます。その失敗や過ちが,他者から強制された行動の結果である場合には,自分の失敗や過ちとして受け止めることは難しく,それらは十分な学び機会にはなり得ません。その意味で,民主主義というものは,私たちが人間的に成長・向上し続ける上において,なかなか良い制度であるとは思います。しかし,自分の失敗や過ちから様々なことを学ぶ権利(自分の責任において失敗や過ちを犯す自由)が許容されているということは,一時的にはとんでもない失敗や過ちを犯してしまう危険性があるということでもあります(その失敗や過ちの責任を本人が取るのだとしても。)。また,扇動者によって,一時的には世論がとんでもない方向に導かれてしまう危険性があるということでもあります(特に,集団行動の場合には,責任の所在があいまいであるため,その逸脱にまったく歯止めが利かなくなってしまう危険性があります。)。このような危険性についても,決して忘れないようにしたいものです。(12)(15)(20)関連