実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

毀誉褒貶に一喜一憂しないでいられるだけの図太さや鈍感さを身に付ける必要がある。

 他者からの評価など,そのほとんどは,噂(うわさ)の域を出ず,ちょっとしたことですぐに手のひら返しに変わってしまうような無責任でいい加減なものです。さらに言えば,私たちは自惚(うぬぼ)れやすく,自分は周囲の人たちから理解され,評価され,期待されている,自分がいなくなったら周囲の人たちが困り,悲しむなどと勘違いしがちですが,実際には,周囲の人たちは,私たちが自惚れているほどには私たちを理解も評価も期待もしてくれていませんし,私たちに対して関心さえそれほど強くは持ってくれていません。それは,私たちが周囲の人たちに対してそれほど強くは関心を持っていないのと同じです。私たちがいなくなっても周囲の人たちは何も困らずに生きていきますし,地球は回り続けます。そのような人たちに評価されないからといって落ち込んだり,怒り狂ったり,評価されたからといって有頂天になったりすることほど馬鹿馬鹿しいことはないのではないでしょうか。毀誉褒貶(きよほうへん)に一喜一憂する必要など,まったくありません。むしろ,私たちは,毀誉褒貶に一喜一憂しないでいられるだけの図太さや鈍感さをこそ身に付けるべきであると思います。人に褒められれば嬉(うれ)しくなり,逆に,人に貶(けな)されれば悲しくなり,腹が立つのが人情ですし,日本人は他者からの評価を過度に気にしやすい国民であるとも言われていますが,他者からの評価を気にするとしても,その相手は,自分が本当に尊敬し,敬愛している相手くらいにとどめるべきなのではないでしょうか。また,「侮辱に復讐するのは,敵と同じレベルに下がることであり,侮辱を許すのは敵をしのぐことになる」とも言いますので,他者から悪口を言われた際には,相手にせず,「屁(へ)の河童(かっぱ)」くらいに思っていればいいのではないでしょうか。他者の短所や欠点や弱みを指摘して平気で悪口を言えるということは,「目糞(めくそ)鼻糞(はなくそ)を笑う」,「青柿が熟柿弔う」などの類いであり,自分の短所や欠点や弱みを自覚できていないことの,すなわち,心の目が曇っていて,あるがままの現実を見ることができていないことの,あるいは,他者の長所や美点や強みを認めるだけの器量(余裕)がないことの証左なのですから(「名人は人を誹(そし)らず」と言います。),そのような人間の言葉を真に受ける必要など,まったくありません。