実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

【実り多い幸せな人生に関する名言等 904】

「男は,自分を理解してくれる者のために死ぬ(史記より)」(『枕草子(日本文学全集07所収)』,酒井順子訳,河出書房新社

 

○「男は,自分を理解してくれる者のために死ぬ」という言葉がありますが,これは,他者に自分を理解してもらうことが,それほどまでに稀有(けう)で有り難い出来事であるということを示しているのではないでしょうか。人間は自惚(うぬぼ)れやすい生き物であり,私たちは,自分は周囲の人たちから理解され,評価され,期待されている,自分がいなくなったら周囲の人たちが困り,悲しむなどと勘違いしがちですが,実際には,周囲の人たちは,私たちが自惚れているほどには私たちのことを理解も評価も期待もしてくれていませんし,私たちに対して関心さえそれほど強くは持ってくれていません。それは,私たちが周囲の人たちに対してそれほど強くは関心を持っていないのと同じです。私たちがいなくなっても周囲の人たちは何も困らずに生きていきます。そのような周囲の人たちの評価ばかりを気にして,自分が本当にやりたいと思える好きなことを諦めてしまったり,自分が進むべき道(自分なりの目標や理想)を見失ってしまったり,自分の信念を捻(ね)じ曲げてしまったりすることほど馬鹿らしいことはないのではないでしょうか。他者からの評価など気にせず(気にするとしても,自分が本当に尊敬し,敬愛している相手からの評価くらいにとどめ),自分が本当にやりたいと思える好きなことに打ち込んだり,自分が信じる目標や理想に向かって自分が進むべき道を前進し続けたり,自分の信念や自分が本当に納得することのできる(自分に恥じることのない)生き方を貫き通すことなどにこそ,気持ちを集中し,力を注ぎたいものです。(11)(12)(13)(14)関連

 

 

私たちは,自分が持っている物だけで満足できるようになる必要がある。

 私たちは,自分が持っていない物(必要以上の物まで)を欲しがり,自分がそれらの物を持っていないことに不平不満を募らせるのではなく,たとえ必要最小限の物しか持っていなかったとしても,自分が持っている物(自分に与えられている物)だけで満足できるようになる必要があるのではないでしょうか。自分の欲望にブレーキを掛け,自分の人生に満足できるようになるなら,自分と他者を比較する習慣は自然に改まるでしょうし(この習慣が改められない限り,他者を羨ましがったり妬んだりする気持ちが静まることはなく,他者の持っている物が常に気になり,自分が持っている物だけで満足することはほぼ不可能です。),自分に与えられている命なども含め,自分が持っている物の豊かさや有り難さに気づき,すなわち,自分が今ここでこうして生きていられることことの有り難さに気づき,心から感謝できるようになることに伴って,それ以上に欲張り,無い物ねだりをすることが,きっと恥ずかしくなるはずです。

 

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 903】

「あなたがたの中で罪のない者が,最初に彼女(姦通という罪を犯した女性)に石を投げなさい。(イエス)」(『新約聖書』,新約聖書翻訳委員会訳,岩波書店

 

○失敗や過ちを犯さない人間はいませんし,人間が犯す失敗や過ちのほとんどは,誰もが犯す可能性のあるものばかりです。したがって,他者が犯した失敗や過ちを不寛容に責め立てるということは,自分もいつか他者から不寛容に責め立てられるということに他なりません。そのような不寛容でとげとげしく殺伐としたり社会で暮らしたくない(もっと寛容で温かみや潤いのある和気藹々(わきあいあい)とした社会で暮らしたい)と願うのであれば,私たちは,他者に対してもっと寛容であるべきなのではないでしょうか。たとえ他者が失敗や過ちを犯したとしても,見下したり,嘲笑したり,鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てたり,正義を振りかざして不寛容に責め立てたりするのではなく,「罪を憎んで人を憎まず」,「正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい」(吉野弘)という精神・姿勢を忘れることなく,罪の償いはしてもらい,その責任は取ってもらいながらも,同じ人間同士として,相手の人間的な成長や更生の可能性を信じ,できる限り共感的かつ寛容な態度で向き合うことを心がけたいものです。(3)(17)関連

 

 

必要以上に欲張ることさえやめれば,自分が幸せであることに気づけるようになる。

 私たちは,欲望の肥大化を放置することなく,自分の欲望にブレーキを掛け,必要以上に欲張ることさえやめれば(足るを知り,欲望に対する必要以上の執着を捨て去れば),たとえ必要最小限の物しか持っていなかったとしても自分の人生に満足することが可能になるとともに,ままならない人生に不平不満ばかりを募らせてしまうようなこともなくなり,自分は不幸であるなどという思い込みから目を覚まし,自分が幸せであることに気づけるようになるのではないでしょうか。もちろん,そのためには,経済成長を促すべく,私たちが必要以上に欲張り続けることを歓迎したり,奨励したり,そそのかしたりする現代社会の風潮を,多少なりとも改める必要があると思いますが。自分が幸せであることに気づけるようになり,生きていることそれ自体に幸せを感じられるようになるなら,私たちはきっと,たとえどのような逆境にあろうとも,たとえどのような不運に見舞われようとも,生きている限りは感謝する気持ちを忘れることなく,「日々是(これ)好日」といった心持ちで,常に満ち足りた気持ちで心豊かに幸せな人生を送り続けることが可能になるはずです。

 

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 902】

「たいていの人が,生きることのすばらしさに気づくのが病気になってからだなんて,悲しい。」(『ソフィーの世界』,ヨースタイン・ゴルデル池田香代子訳,NHK出版)

 

○何事にも一長一短はあり,老いることや病気になることにさえ,肯定的な側面はあります。実際,私たちは,老いることによって,足るを知ること(自分の欲望にブレーキを掛け,自分の人生に満足できるようになること)がより容易になりますし,病気になることによって,健康や命の有り難さを痛感し,ただ健康でいられるということだけでも,あるいは,ただ生きていられるということだけでも,大きな喜びや幸せを感じられるようになります。しかし,できることなら,老い先が短くなる前に自分の人生に満足できるようになりたいものですし,大病を患う前に健康に生きていられることの有り難さに気づけるようになりたいものです。そのためにも,私たちは,幸せとは何か,どのようにすれば幸せになり,幸せであり続けることができるのかといったことを,人生のできる限り早期から,真剣に考え,実践すべきなのではないでしょうか。たった一度きりの人生に大きな悔いを残さないようにするためにも。(2)(9)関連

 

 

自分の欲望にブレーキを掛ければ,不平不満の原因は自然に取り除かれていく。

 自分の欲望にブレーキを掛けられるようになり,自分の人生に満足できるようになるなら,暖衣飽食の生活を享受しつつも,自分の人生を自分の思い通りにしたいなどと欲張るようなことはなくなり,したがって,ままならない人生に不平不満ばかりを募らせてしまうようなこともなくなり,ままならない人生をあるがままに受け入れられるようになりるのではないでしょうか。そして,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さ,具体的には,この世の中に生まれてこれたこと(この世の中で生きることができるチャンスを得られたこと)の有り難さ,自分の命を守り,自分が生きることを可能にしてくれている大自然(人体や宇宙を含む。)の神秘的とさえ言える精妙な仕組みや働きの有り難さ,自分の人生を成り立たせてくれている数知れぬ他者の直接的又は間接的な支えや助けの有り難さ,人類史上最も豊かで安全で便利な社会で生活できることの有り難さなどに深く思いを致し,心から感謝することもできるようになり(そのためには,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さを実感する体験を何度も積み重ねる必要があるかも知れませんが),その結果,欲望の肥大化は自然に抑えられるようになるのではないでしょうか。また,自分の人生に満足できるようになるなら,何を人生の最優先事項にすべきかということを見誤ることもなくなると思いますし,普通の平凡な人生を送れることの有り難さにも気づき,そのような人生を,無価値な,あるいは,価値の低い人生と見下すようなおごった物の見方が改められるとともに,財産や地位や権力や名声などに対する執着から解放され,他者との間に友好的かつ協調的な信頼関係を築けるようになるのではないでしょうか。

 

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 901】

「わたしはある日すっかり消えてしまう,と強く実感して初めて,命はかぎりなく尊い,という思いもこみあげてくる。まるで一枚のコインの裏と表だ。」(『ソフィーの世界』,ヨースタイン・ゴルデル池田香代子訳,NHK出版)

 

○何事にも一長一短(肯定的な側面と否定的な側面)があり,死という否定的に捉えられがちな現象にさえ肯定的な側面はあります。実際,もし人間が不死身であったら,地球は人間で溢(あふ)れ返ってしまいますし(あるいは,新たに人間が誕生する余地がなくなってしまいますし),そもそも,死があるからこそ生きる喜びがあるのであり,生きる喜びがあるからこそ私たちは,生きていることやこの世の中に生まれてきたことに感謝したり,幸せを感じたりすることができるのではないでしょうか。死という現象がなかったら,私たちは,生きていることそれ自体に喜びや幸せを感じることができなくなってしまいます。しかし,生きていることそれ自体に喜びや幸せを感じることができればこそ,私たちは,たとえどのような逆境にあろうとも,たとえどのような不運に見舞われようとも,生きている限りは幸せであり続けることができるのではないでしょうか。なお,死という現象を意識から遠ざけてしまうと,生きる喜びが自然に薄れ,生きていることやこの世の中に生まれてきたことに感謝したり,幸せを感じたりすることが難しくなってしまいます。生きていることそれ自体に喜びや幸せを感じ続けていられるようにするためにも,命は儚(はかない)いものであるという事実を常に念頭に置きながら,「生きてるだけで丸儲(まるもう)け」(さんま)という気持ちで生活するように心がけたいものです。(8)(9)関連