失敗や過ちを犯さない人間はいません。また,人間が犯す失敗や過ちのほとんどは,誰もが犯す可能性のあるものばかりです。失敗や過ちを犯した他者に対しては,見下したり,嘲笑したり,鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てたり,正義を振りかざして不寛容に責め立てたりするのではなく,「罪を憎んで人を憎まず」,「一悪を以(もっ)て其(そ)の善を忘れず」,「正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい」(吉野弘)という精神・姿勢を忘れずに,その責任は潔く取ってもらい,その償いは誠実に果たしてもらいながらも,同じ人間同士として,できる限り共感的かつ寛容な対応を心掛けたいものです。失敗や過ちを犯した他者を不寛容に責め立てるということは,いつか自分も他者から不寛容に責め立てられるということに他なりません。他者を厳しく非難することは,多少の憂さ晴らし(鬱憤晴らし)にはなるでしょうし,一時的には自分が偉くなったように感じられて気持ちがいいかも知れませんが,その指摘がいくら正しいものであったとしても,愛情や真心に裏打ちされていない言葉は相手の心に届きませんし(自分の言葉を相手の心に届かせたいと思うのであれば,こちらの愛情や真心が相手に伝わるような口の利き方やものの言い方を心掛ける必要があります。),厳しく非難したり,厳しく罰したりするだけでは相手の反省や人間的な成長・更生を促すことにはつながらず,かえって相手を意固地にさせ,素直に反省することを難しくさせてしまったり,相手を他罰的(他責的)・悲観的・自棄的にさせ,人間的な成長や更生を困難にさせてしまったりするだけです。そして,結果的には,相手に同じような失敗や過ちを何度も繰り返させてしまい,社会が被る損害や不利益を増大させてしまうだけです。