「才知あふれる人物はまったく独りぼっちでも,みずからの思索や想像ですばらしく楽しめるが,鈍物は社交や芝居,遠出やダンスパーティーと絶え間なく気分転換をしても,地獄の責め苦のごとき退屈をはねのけることができない。善良で穏健で柔和な性格であれば,貧しい境遇でも満ち足りて幸福だが,貪欲で嫉妬深く性悪だと,どんなに富があっても満足できない。」(『幸福について』,ショーペンハウアー,鈴木芳子訳,光文社)
○生きる喜びや幸せを自分の外に,すなわち,刺激的なイベントや社会的(世俗的)な成功などに求めている限り,刹那的な喜びや一時的な幸せ以上のものを手に入れることはできないのではないでしょうか。また,それらは薬物のようなもので,同じ満足を得るためには,その量をどんどん増やしていかざるを得ず,しかも,どれだけ増やしたところで真の満足に至ることはないのではないでしょうか。他方,生きる喜びや幸せを自分の外にではなく,自分の内に,すなわち,自分が生きていることそれ自体に求めるなら,私たちは,刹那的な喜びや一時的な幸せ以上のものを手に入れ,真の満足に至ることができるのではないでしょうか。生きる喜びや幸せを常に感じつつ,真に満ち足りた幸せな人生を送れるようになるためにも,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに常に深く思いを致し,心から感謝する習慣を身に付けるなどして,生きていることそれ自体に生きる喜びや幸せを感じられるようになりたいものです。(1)(4)(6)(7)(8)(10)関連