「一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは,一歩下がって考えなおしてみてからでも遅くない。そういうときには視野の幅が狭くなっていることが多い。ここから孤立しがちになる。」(『看護のための精神医学 第2版』,中井久夫・山口直彦,医学書院)
○私たちは,失敗や過ちを犯した他者に対し,すぐに見下したり,嘲笑したり,鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てたり,正義をふりかざして不寛容に責め立てたりしがちです。しかし,正義を振りかざして他者を不寛容に責め立てたりすることは,多少の憂さ晴らしにはなるでしょうし,一時的には自分が偉くなったように感じられて気持ちがいいかもしれませんが,人間が犯す失敗や過ちのほとんどは,誰もが犯す可能性のあるものばかりです。したがって,正義を振りかざして他者を不寛容に責め立てたりするということは,いつか自分も他者から正義を振りかざして不寛容に責め立てられたりする(そして,最悪の場合,そのまま孤立無援状態にまで追い込まれてしまう)ということに他なりません。同じ(同じような失敗や過ちを犯す可能性のある)人間同士なのですから,他者が失敗や過ちを犯した際には,その責任は潔く取ってもらい,その罪は誠実に償ってもらいながらも,「罪を憎んで人を憎まず」という精神で,できる限り共感的かつ寛容な対応を心がけたいものです。(3)(17)関連