「少病少悩。なんとおおらかな心であろうか。完全無欠な人格と境涯を輝かせる釈迦牟尼如来ですら,少しの病はある。少しの悩みくらいは持っている。しかし,たかが少病であり少悩にすぎない。いや,どんなに苦しい死に至る病にかかろうとも,それでもなお,その真実は少病少悩にすぎないのかもしれない。」(『よき時を思う』,宮本輝,集英社)
○ 人生は本来ままならないものなのであり,「一難去ってまた一難」とも言うように,人生に困難や苦労は付き物です。誰の人生であっても(どれだけ幸せそうに見える人の人生であっても),例外はありません。しかし,肥大化した欲望(必要以上に欲張る気持ち)などによって心の目を曇らせることなく,幸せに対する感度を高めることさえできるなら,私たちは,困難や苦労を補って余りあるほどの生きる喜びや幸せを自分の人生に見いだすことも可能です。困難や苦労ばかりが多いからといって,すぐに人生に絶望し,自暴自棄になってしまうのではなく,人生はままならないものである(ままならないのが人生である)という事実をあるがままに受け入れた上で,自分の人生に無限と言ってもいいほどの生きる喜びや幸せを見いだすべく,曇りのない眼を保ち続けたり,取り戻したり,幸せに対する感度を研ぎ澄ましたり,磨き続けたりすることにこそ,気持ちを集中し,力を注ぎたいものです。(1)(8)(9)関連