実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(14)⑤他者に勝とうが負けようが,人間は生きているというだけで価値があるのである。

 他者との勝負など,しょせんは「団栗(どんぐり)の背比べ」,「五十歩百歩(五十歩をもって百歩を笑う)」であるに過ぎませんし,私たちは,他者と支え合い,助け合ってこそ生きていられるのであり,その意味で私たちと他者は一体なのですから,本来は勝ちも負けもないはずです。「勝ち組」・「負け組」などという言葉もありますが,人生の目的は,他者と競い合って社会的な成功を収めることではありませんし,改めて言うまでもなく,金持ちであることと幸せであることは,まったく別のことです。むしろ,お金に執着すればするほど,幸せからは遠ざかってしまうものです(金銭欲には限りがなく,お金に執着すればするほど,自分の人生に満足することが難しくなり,不平不満ばかりが募ってしまうからです。)。にもかかわらず,金持ちを人生の勝者と見なし,貧乏であることをことさら悲惨なこと,恥ずべきこととして忌み嫌うような現代社会の風潮は,いったい何に由来するのでしょうか。このような風潮が,結局は,他者と競い合って社会的な成功を収めなければ幸せになれないというデマに基づく迷信を世の中に蔓延(はびこ)らせる結果につながってしまっているように思います。そもそも,(1)でも述べたように,生きているということは一つの奇跡であり,それ自体,心から感謝すべき有り難いこと,大きな価値のあることなのですから,他者に勝とうが負けようが,そんなことで人間の存在価値が変わってしまうなどということはあり得ません。命の目方はみんな同じです。人間は生きているというだけで価値があるのであり,生きている人間同士の間に存在価値の差などありません。私たちは他者や社会のお陰で生きていられるのですから,多少なりとも他者や社会の役に立ちたいと願うのが自然ですが,たとえ直接的な形では他者や社会の役に立てなかったとしても,そのことで,その人間の存在価値がなくなったり,低下したりするなどということはあり得ません。