私たちが相手をどのように見るかによって,相手は悪人にも善人にもなり得るわけですから,悪人だらけの世の中で暮らしたくない,善人だらけの世の中で暮らしたい,自らも悪人として生きるのではなく善人として生きたいと望むのであれば,そして,他者(さらに言えば,他国)との間に友好的かつ協調的な信頼関係を築きたいと望むのであれば,「和を以(もっ)て貴しとす」とも言うように,私たちは互いに,相手の心の中に住む悪人ばかりに目を向け,すぐに相手を嫌いになってしまうのではなく,相手の心の中に住む善人にこそ積極的に目を向け,できる限り相手を好きになることをこそ心がけるべきなのではないでしょうか(いったん相手を嫌いになり,距離を取るようになってしまえば,関係を修復する機会がなくなり,後から相手を好きになることはほぼ不可能になってしまいます。)。相手の心の中に善人がなかなか見つからない場合でも,将来見つかる可能性を信じて粘り強く相手と向き合い続けることを心がけるべきなのではないでしょうか。そもそも,私たちは,他者と支え合い,助け合ってしか生きていられないのであり,その意味で,私たちと他者は本来一体なのですから,他者を敵と見なして足を引っ張り合ったり,パイを奪い合ったりするような生き方ではなく,他者を味方(仲間)と見なして助け合ったり,幸せを分かち合ったりするような生き方をしたいものです。