実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

欲張り続ける限り,いつまでたっても満足することはできず,不平不満ばかりを募らせては,自分は不幸であるなどと思い込むようになってしまうのが落ちである。

 私たちは,なぜ自分が幸せであることになかなか気づけないのでしょうか。

 欲望は生の証(あか)しであり,欲望を満たそうとすることは,生き物にとって自然なことです。しかし,人間の欲望は苦しみや悲しみの種でもあります。「欲に頂(いただき)なし」,「千石取れば万石望む」などと言うように,人間の欲望は,必ずしも本能に基づくものではないだけに,限りがなく,放って置けば際限なく肥大化する傾向があるからです。

 したがって,私たちは,自分の欲望に強い意志を持って意識的に歯止めを掛けない限り,いつまでたっても満足すること(足るを知ること)ができません(一時的には,あるいは,多少は満足できたとしても。)。たとえどれだけ多くの物を持っていたとしても,欲張り続ける限り(自分の欲望に必要以上に執着し続ける限り),私たちはいつまでたっても自分の人生に満ち足りるということはありません(持っている物が多く,美衣美食の贅沢(ぜいたく)な生活に慣れてしまっているからこそ,自分の欲望を抑えられないという面もあるのかも知れません。)。常に不満を抱えたまま,自分の欲望に追い立てられ,振り回される形で,より多くの物を(必要以上の物を)追い求め続けることになってしまいますし(より多くの物を手に入れれば,心が満ち足り,幸せになれると勘違いし,ますます貪欲になり,常に無い物ねだりをするようになってしまいますし),常に自分が持っている物を失うことに対する不安を抱えることにもなり,心は貧しいままです。

 挙げ句の果てには,暖衣飽食の豊かで安全で便利な生活を送る中で,多くの物事が自分の思い通りになることを当たり前と思って感謝する気持ちを忘れ,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに深く思いを致すことができなくなってしまったり,自分の欲望を充足させることを人生の最優先事項とし,その他のことをないがしろにするようになってしまったり,欲に目が暗み,本当に大切なものが見えなくなってしまったり,場合によっては,道を踏み外してしまったりさえします。

 また,普通の平凡な人生では満足することができず,そのような人生を,無価値な,あるいは,価値の低い人生と見下すようになってしまったり,財産や地位や権力や名声などに執着しては他者と敵対するようになってしまったり(私たちは,自分の人生に満足できないからこそ,目の色を変えて財産などを手に入れようとするのでしょうが,財産などを手に入れるためには,必死になって他者と競い合う必要があり,必然的に他者を協力相手(味方・仲間)ではなく,競争相手(敵)と見なすようになってしまいます。なお,規律や秩序を保ちつつ安全で平和な世の中を築き,維持していく上において権力は欠かせませんが,権力は腐敗しやすく,権力者が,その権力を私物化し,自分の欲望を満たすために乱用すれば,かえって規律や秩序は乱れ,世の中は危険で争い事に満ちた生活の場になってしまいます。したがって,権力を負託する相手の選択については,くれぐれも間違わないようにしたいものです。),人生は自分の思い通りになると思い上がった末に(自分の人生を自分の思い通りにしたいと欲張った末に),結局は,ままならない人生に対する不平不満ばかりを募らせるようになってしまったり(人生はままならないものであるという事実をあるがままに受け入れられない限り,人生は常に期待を裏切られては傷ついたり,失望したりするだけのものになってしまう可能性があります。),人生が自分の思い通りにならないことを他者や運命のせいにしては,他者を恨み,他者を責め立て,運命を呪い,不運を嘆き悲しむような,被害者意識の強い他罰的(他責的)な人間になってしまったりさえします。

 私たちは,自分の欲望の肥大化を放置したまま(自分の欲望に歯止めを掛けることなく)欲張り続けるからこそ,常に不満を抱えたまま,いつしか,自分は不幸であるなどと思い込むようになってしまい(自分が幸せであることに気づけなくなってしまい),また,心の目を曇らせ,心の平安を失い,世の中の肯定的な側面が見えなくなってしまうことにより,人生に生きる喜びや幸せを見いだすことが難しくなり,ひいては,自分の目の前にある幸せに気づくことさえ難しくなってしまうのではないでしょうか。