「私がひそかに自分のことを幸せだと思うことがあるのは,かつての最低の暮しの実感が,少しも薄らぐことなく自分の中に残っていることだ。そのために幸福感の要求水準が,かなり低く設定されている感じがある。大袈裟に聞こえるかもしれないが,自宅のトイレにいくらでも気のすむまで坐っていていいという事だけでも,幸せを感じてしまう。」(『幸福論の周辺』(『文藝春秋 新幸福論 本当の幸せとは?』所収),五木寛之,文藝春秋)
◯要求水準の高い人は,総じて満たされることが少なく,幸せであることが難しいかもしれない。逆に,要求水準の低い人は,「少欲知足」とも言うように,総じて満たされることが多く,幸せであることがより容易かもしれない。しかし,幸せであることと不幸せであることとの分かれ道は,要求水準の高低というよりは,そもそも何を欲し,何を求めるのか,というところにあるような気もする。(2019年6月15日)