実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1457】

「解脱を妨げるのは富そのものではなく,富への執着なのである。楽しいことを享受することそれ自体ではなく,それを焦(こが)れ求める心なのである。」(『スモール イズ ビューティフル』,シューマッハー,小島慶三・酒井懋訳,講談社

 

 

○社会が豊かであればあるほど,その社会で暮らす人間の幸福度は高い,とは必ずしも言えません。実際,私たちは,このような豊かな社会で暮らしながらも(私たちが暮らしている社会は,人類史上最も豊かな社会と言えます。),そのことに感謝するどころか,無い物ねだりばかりをしては不平不満を募らせがちです。そして,不平不満を募らせた挙げ句,自分は不幸であるなどと思い込みがちです。私たちはもっと,このような豊かな社会に暮らせることの有り難さに深く思いを致す必要があるのではないでしょうか。このような豊かな社会で暮らせることを当たり前と思うからこそ,感謝する気持ちを忘れ,不平不満を募らせてしまうのだと思います。このような豊かな社会に暮らせることの有り難さに深く思いを致し,心から感謝できるようになるなら,無い物ねだりばかりしている自分がきっと恥ずかしくなるはずです。端的に言えば,私たちは欲張り過ぎなのだと思います。必要以上に欲張る(無い物ねだりをする)ことさえやめれば,常に満ち足りた気持ちで幸せな人生を送ることは格段に容易になるはずです。(4)(6)(21)関連

(2)③幸せな人生を送ることにこそ,最大限の関心を払い,最大限の力を注ぐべきである。

 私たちは,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るべきなのであり,幸せとは何かということを正しく見極めた上で(この作業を疎(おろそ)かにし,幸せとは何かということを見誤れば,すべての努力が徒労に終わってしまう危険性があります。),どのようにすれば幸せになり,幸せであり続けることができるのかということをこそ,真剣に考え,真剣に学び,真剣に試行錯誤(実践)すべきであると思います。幸せな人生を送ることを人生の最優先課題とし,他者と競い合って社会的な成功を収めること(財産や地位や権力や名声などを手に入れること)などに気を散らすことなく,幸せな人生を送ることにこそ,最大限の関心を払い,最大限の力を注ぐべきであると思います。この優先順位を間違えれば,たった一度きりの人生に大きな悔い(悔やんでも悔やみ切れない思い)を残してしまったり,自分の一生を台無しにしてしまったりする危険性さえあります。

 

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1456】

「金持ちがさらに大金持ちになるとそれ以外の全員が自分は貧しくなったと感じるわけで,実際には誰もが以前より豊かになっていても,格差が幸福感を引き下げてしまう。」(『21世紀の啓蒙(上)』スティーブン・ピンカー,橘明美・坂田雪子訳,草思社

 

 

○私たちは,経済的に豊かでなければ幸せな人生を送れないと勘違いしやすく,自分より経済的に豊かな人間と自分を比較しては,自分は不幸であると思い込みがちです。しかし,経済的に豊かであることと幸せであることは,まったく別のことです。経済的に豊かであるからと言って幸せな人生を送れるとは限りませんし,経済的に貧しいからと言って不幸な人生を送るとは限りません(むしろ,経済的な豊かさに執着すればするほど,不平不満,妬みそねみ,恨みつらみ,失意失望,自暴自棄といった心理状態に自分を追い込んでしまう危険性は高まり,幸せな人生を送ることは難しくなってしまいます。)。幸せな人生を送りたいと望むのであれば,経済的に豊かでなければ幸せな人生を送れないなどといった迷信から早く目を覚まし(経済的な豊かさに大差うる執着を捨て去り),経済的に豊かになることにではなく,たとえ経済的には貧しくとも幸せな人生を送れるようになることにこそ,限りある大切な時間やエネルギーを使えるようになる必要があるのではないでしょうか。経済的に豊かであることと幸せであることはまったく別のことである,ということを正しく認識できるようになるなら,経済格差(貧富の差)の問題など(自分より経済的に豊かな人間の存在など),きっとそれほど気にならなくなるはずです(生きていくのに最低限必要なお金が確保できているなら。)。(1)(10)(14)(18)(20)(21)関連

(2)②幸せであることと感謝することの間には,切っても切れない密接な関係がある。

 幸せであることと感謝することの間には,切っても切れない密接な関係があります。実際,私たちの心は,幸せな時には感謝する気持ちでいっぱいになりますし,何かに対して感謝している時には幸せな気持ちでいっぱいになります。したがって,常に幸せな気持ちでいたいと望むのであれば,常に何かに対して感謝していればいいということになります。私たちは,感謝する気持ちを忘れやすく,不平不満ばかりを募らせてしまいがちですが,感謝すべきことを本気で見付けようと思えば,いくらでも見つかるのではないでしょうか(自分の人生について,不満を数え上げようと思えばいくらでも数え上げることができますが,同様に,感謝すべきことも数え上げようと思えばいくらでも数え上げることができるのではないでしょうか。数え上げることができないとしたら,それは心の目が曇っているか,想像力が決定的に不足しているせいだと思います。また,不満を数え上げる方が知的に見えますし,格好よく感じられるかも知れませんが,改めて言うまでもなく,そんなことより幸せな人生を送ることの方が,はるかに重要です。)。そして,感謝すべきことを見付けることを日頃から心掛け,習慣化し,常に何かに対して感謝していられるようになるなら,不平不満ばかりを募らせてしまうようなことは自然になくなり,常に幸せな気持ちでいられるようになるのではないでしょうか。

 

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1455】

「持っているものをすべて数えれば,自分がどんなに恵まれているかがすぐにわかる。(ロバート・クレイン)」(『感謝の習慣』,スコット・アラン,弓場隆訳,ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

 

○私たちは,自分が今ここでこうして生きていられることを当たり前と思うからこそ,感謝する気持ちを失い,不平不満ばかりを募らせてしまうのではないでしょうか。そして,不平不満ばかりを募らせた挙げ句,自分は不幸であるなどと思い込むようにさえなってしまうのではないでしょうか。しかし,私たちが今ここでこうして生きていられることは,決して当たり前のことではありません。私たちは大自然(人体も含め。)の恵みによって生かされているのであり(人体の免疫機能一つを取っても,それは明らかです。),また,目に見える直接的なものも目に見えない間接的なものも含め,数知れぬ他者の支えや助けがあればこそ生きていられるのです(実際,生存に欠かせない衣・食・住のどれ一つを取っても,完全に自給自足できている人などいないはずです。)。このように考えるなら,私たちが今ここでこうして生きていられるということは,一つの奇跡と言えます。自分が今ここでこうして生きていられることを当たり前と思うことなく,その有り難さに常に深く思いを致し,たとえどのような逆境にあったとしても,たとえどのような不運に見舞われたとしても,感謝する気持ちを失わないようにしたいものです。(1)(2)(4)(6)(7)(11)(14)(20)(21)関連

(2)①自分が幸せであったことに死ぬ瞬間に気付くのでは,人生が余りにももったいない。

 死ぬ瞬間には誰もがきっと無欲恬淡(むよくてんたん)・春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)という心境に達し,様々な執着や不平不満などから解放されるのではないでしょうか。そして,曇りのない眼や心の平安を取り戻し,生きているということは,ただそれだけで十分に価値のある幸せなことだったのだと気付き,これまで生きてこれたことや,この世の中に生まれてこれたことに対する感謝の気持ちを新たにするのではないでしょうか。しかし,死ぬ瞬間に気付くのでは遅すぎます。たった一度きりの人生が,生きる喜びや希望に満ちた幸せなものでなかったとしたら,私たちはいったい何のために生きているのでしょうか。何のためにこの世の中に生まれてきたのでしょうか。人生がただ苦しくてつらいだけでのものであったとしたら,たとえどれだけ長生きできたとしても,生きている甲斐(かい)がありませんし,この世の中に生まれてきた甲斐がありません。

 

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1454】

「他人を矯正するよりも,自分を直すほうがよほど得であり,危険も少ない。」(『人を動かす』,D・カーネギー, 山口 博訳,創元社

 

 

○私たちは,物事がうまくいかなかったり,人生に行き詰まったりすると,それをすぐに他者や社会のせいにしがちですが,他者や社会をいくら恨んだところで,いくら責め立てたところで,物事が好転したり,人生の行き詰まりが打開されたりすることはありません(むしろ,他者や社会を恨めば恨むほど,責め立てれば責め立てるほど,孤立無援状態に陥ってしまう危険性は高まり,物事はますますうまくいかなくなり,人生にますます行き詰まってしまうのが普通です。)。なぜなら,他者や社会を自分の思い通りに変えることなど絶対にできませんし,そもそも,物事がうまくいかなかったり,人生に行き詰まったりすることの原因や責任が他者や社会にあるとは限らないからです。物事がうまくいかなかったり,人生に行き詰まったりした際には,その原因や責任は自分にあると考え,自分(自分の心の持ち方や考え方や生き方など)を変えることによって物事の好転や人生の行き詰まりの打開を目指すのが賢明なのではないでしょうか。なぜなら,自分を変えることは自分の意志や努力次第で可能ですし,ほとんどの場合,物事がうまくいかなかったり,人生に行き詰まったりすることの原因や責任は自分にあるのが普通だからです。もちろん,自分を変えれば必ず物事が好転し,人生の行き詰まりが打開されるという保証はありませんが,恨み言や泣き言を言っているだけで何の希望も持てない生き方より,自分の努力によって何とか希望を見いだし,希望をつないでいこうとする生き方の方が,よほど意味のある建設的な生き方と言えるのではないでしょうか。(15)関連