実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(1)⑥幸せになるために他者と競い合う必要などないし,誰も私たちの幸せを奪い取れない。

 私たちは,ただ生きているというだけですでに十分に幸せなのであり,そのことに気付くことさえできれば誰でも幸せになれるのですから,幸せになるために他者と競い合って社会的な成功を収める(財産や地位や権力や名声などを手に入れる)必要などありません。また,生きている限りは誰でも自分の心の持ち方次第で,すなわち,自分の意志や努力次第で,幸せになり,幸せであり続けることができるのですから,自分から手放さない限り,誰も私たちの幸せを奪い取ることはできません。

 

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1453】

「他人のあら探しは,何の役にも立たない。相手は,すぐさま防御体制を敷いて,何とか自分を正当化しようとするだろう。それに,自尊心を傷つけられた相手は,結局,反抗心を起こすことになり,まことに危険である。」,「人を批評したり,非難したり,小言を言ったりすることは,どんな馬鹿者でもできる。そして,馬鹿者に限って,それをしたがるものだ。」(『人を動かす』,D・カーネギー, 山口 博訳,創元社

 

 

○失敗や過ちを犯さない人間はいませんし,人間が犯す失敗や過ちのほとんどは誰もが犯す可能性のあるものばかりです。したがって,失敗や過ちを犯した他者を厳しく非難するということは,いつか自分も他者から厳しく非難されるということに他なりません。他者が失敗や過ちを犯した際には,見下したり,嘲笑したり,鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てたり,正義を振りかざして不寛容に責め立てたりするのではなく,同じ人間同士としてできる限り共感的かつ寛容な対応を心掛けたいものです。愛情や真心に裏打ちされていない言葉は決して相手の心に届きませんし,厳しく非難すればするほど相手を他罰的(他責的)・悲観的・自棄的にさせてしまう危険性は高まり,その人間的な成長・向上や更生を難しくさせてしまう(結果的に,同じような失敗や過ちを何度も繰り返させてしまう)だけですので。(3)(14)(17)関連

(1)⑤自分がすでに十分に幸せであることに気付くことさえできれば,誰でも幸せになれる。

 自分がすでに十分に幸せであることに気付き,感謝する気持ちを忘れさえしなければ,わざわざ「山のあなたの空遠く」に「幸い」を探しに行ったり,「青い鳥」を探し求めたりしなくても,あるいは,他者が羨むような社会的(世俗的)成功を収めなくても,誰でも幸せになり,幸せであり続けることができるはずです。むしろ,他者と競い合って社会的な成功を収め,財産や地位や権力や名声などを手に入れなければ幸せになれないなどといったデマに基づく間違った思い込みこそが,財産などに対する執着を生じさせ,私たちの心の目を曇らせるととももに私たちの心の平安を乱し,ひいては,私たちを,不平不満,妬みそねみ,恨みつらみ,失意失望,自暴自棄といった心理状態に追い込み,私たちが幸せになること(自分がすでに十分に幸せであることに気付くこと)を難しくさせているのではないでしょうか。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1452】

「「ありがとう」と言うことは,誰にとっても最高の祈りである。それは相手の厚意に対する謙虚さと理解を示している。(アリス・ウォーカー)」(『感謝の習慣』,スコット・アラン,弓場隆訳,ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

 

○私たちは,自分が今ここでこうして生きていられることを当たり前と思うからこそ,感謝する気持ちを忘れ,不平不満ばかりを募らせてしまうのではないでしょうか。そして,不平不満ばかりを募らせた挙げ句,自分は不幸であるなどと思い込むようになってしまうのではないでしょうか。他方,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに気付くことさえできれば,感謝する気持ちを忘れることは決してないでしょうし,不平不満ばかりを募らせてしまうようなこともなくなるのではないでしょうか。そして,その結果,幸せな人生を送ることは格段に容易になるのではないでしょうか。常に満ち足りた気持ちで幸せな人生を送れるようになるためにも,自分が持っていないものを欲しがり(無い物ねだりをし),自分がそれらのものを持っていないことに不平不満ばかりを募らせてしまうような人間ではなく,自分が持っているもの(自分に与えられているもの)の豊かさに深く思いを致し,自分がそれらのものを持っていることに常に感謝していられるような人間に,是非ともなりたいものです。(2)(4)(6)(7)(20)関連

(1)④幸不幸は心の持ち方次第であり,幸せであるための条件は誰にでも備わっている。

 たとえどのような逆境(恵まれない境遇)にあったとしても,自分は幸せであると心の底から思えるなら,他者の目にどのように映ろうとも,その人は確かに幸せなのであり,また,たとえどのような順境(恵まれた境遇)にあったとしても,自分は幸せであると心の底から思えないなら,他者の目にどのように映ろうとも,その人は確かに幸せではないのですから,人間の幸不幸を最終的に決めるのは,境遇(過去の経験や遺伝や環境など)ではなく,物事の捉え方や心の持ち方(心構えや心掛け)ということになるのではないでしょうか。そして,人間の幸不幸が物事の捉え方や心の持ち方によって決まるのであれば,私たちは誰もが物事の捉え方や自分の心の持ち方次第で幸せになり,幸せであり続けることができるわけですから,私たちには生まれ付き幸せであるための条件がすべて備わっているということになるのではないでしょうか。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1451】

「私たちが頭で考えるよりもはるかに多くのことをからだは感じているのです。・・・何が生命,生活にとって良いことか,益をもたらすか,あるいは反対に何がそうでないかについて,からだが全体として感じわけることは,思考や感情が行なえることとはくらべものにならないくらいに,多くのことを示しているのです。」(『フォーカシング』,ジェンドリン,村山正治都留春夫・村瀬孝雄訳,福村出版)

 

 

○この宇宙に存在するすべての物は,この地球上に生存する多種多様な生き物も含め,もとを正せば,たった一つの物が分化・発展する過程の中で派生した物と言えます。もともと一つの物だったわけですから,この宇宙に存在するすべての物は,深いところではつながっており,互いに影響を与え合っているはずです。だからこそ私たちは,「一芸は道に通ずる」,「一芸に達する者は諸芸に達する」などとも言うように,「個」を探究することによって「普遍」的な真理に至ることができるのではないでしょうか。自分自身を深く掘り下げて知ることによって,人間はどのように生きるべきかという問いの答え(人生の真理)を知ることも可能なはずです。答えは自分自身の中にあるということを信じ,自分の心(魂)の声や身体の声にしっかり耳を傾ける習慣を是非とも身に付けたいものです。(8)(11)(12)(14)関連

(1)③人生には,困難や苦労を補って余りあるほどの生きる喜びや幸せが詰まっている。

 人生はままならない(自分の思い通りにならない)ものであり,人生に困難や苦労は付き物です。誰の人生であっても例外はありません。しかし,心の目を曇らせることなく,幸せに対する感度を高めることさえできるなら(自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに常に深く思いを致し,心から感謝する習慣を身に付けるなどして。),私たちは自分の人生に困難や苦労を補って余りあるほどの生きる喜びや幸せを見いだすことも可能です。自分の人生は困難や苦労ばかりであり,生きる喜びや幸せなどほとんど見いだせないと言う人もいるかも知れませんが,それはただ単に,心の目が曇っていたり,幸せに対する感度が鈍っていたりするせいなのではないでしょうか。そもそも,「(楽は苦の種,)苦は楽の種」,「苦を知らぬ者は楽を知らぬ」,「雲がなければ,太陽をありがたく思わないだろう。」,「汗を流さずには喜びはない」(トマス・フラー)などとも言うように,苦しさやつらさがあるからこそ楽しさや喜びがあるのでしょうし,困難や苦労を乗り越えることでこそ生きている手応えや達成感・充実感といったものも味わえるのではないでしょうか。困難や苦労が多いからといって,人生に絶望し,自暴自棄になってしまうのではなく,それらを補って余りあるほどの生きる喜びや幸せを見いだすべく,曇りのない眼を保ち続けたり,取り戻したり,幸せに対する感度を研ぎ澄ましたり,磨き続けたりすることにこそ,気持ちを集中し,力を注ぎたいたいものです。