「「衆生が癖によって盲目的に行為し続けている状態」が「迷い」であり,「それを止めた状態」が「悟り」である。」,「仏教で「修行」が必要とされる理由の一つがこれで,頭で正しい理屈を知ったとしても,習慣的な行為を止めることができない限り,達成されたとは言えないのが「悟り」というものの性質だ。」(『仏教思想のゼロポイント』,魚川 祐司, 新潮社)
○人間の欲望には限りがありませんので,欲張り続ける限り,たとえどれだけ多くのものを手に入れたとしても,私たちの心が満ち足りるということはありません。常に不満を抱えながら,他者と競い合う形で(他者とパイを奪い合う形で),より多くのものを追い求めてあくせくし続けることになってしまいます。場合によっては,生きていくのに必要以上のものまで持っていながら,不満ばかりを募らせては自分は不幸であるなどと思い込むようにさえなってしまいます。常に満ち足りた気持ちで心安らかに幸せな人生を送りたいと望むのであれば,私たちは,必要以上に欲張る習慣を自分の意志で(他人に強制されてではなく)改める必要があるのではないでしょうか。その代わりに,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに常に深く思いを致し,心から感謝する習慣を身に付けるなどして足るを知り,自分の欲望に自分の意志でブレーキを掛けられるようになる必要があるのではないでしょうか。必要以上に欲張る習慣に代えて自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに常に深く思いを致し,心から感謝する習慣を身に付けることさえできるなら,幸せな人生を送ることは格段に容易になるはずです。(4)(6)関連