世の中の否定的な側面ばかりに目を向ける習慣を身に付けてしまった人が,世の中の肯定的な側面にも広く公平に目を向けられるようになるということは,「言うは易(やす)く行うは難し」であるかも知れません。しかし,私たちの心には生まれ付き,全体のバランスを保ち,全体のバランスを回復させようとする(例えば,偏ったものの見方や考え方や生き方を,よりバランスの取れたものに変えようとする)「自然治癒力」のようなものが備わっているのではないでしょうか(バランスを取ろうする余り,しばしば振り子が反対側に振れ過ぎてしまうことがありますので,その点には留意が必要ですが。)。実際,「誰も信じられない。」と,他者に対して心を閉ざしている人の心の中にも,信じることのできる他者に巡り会いたいという気持ちはきっと残されていると思いますし,「生きていたって,いいことなんか何もない。」と,人生を悲観している人の心の中にも,人生に対する希望を完全には失いたくないという気持ちはきっと残されていると思いますし,「自分なんかどうなったって構わない。」と,自分を粗末に扱っている人の心の中にも,自分をこれ以上粗末に扱いたくないという気持ちはきっと残されていると思います。問題は,そのような秘められた微(かす)かな気持ちをいかに呼び覚まし,強化していくかということなのではないでしょうか。