「地獄の沙汰も金次第」とは言いますが,お金がすべての世の中になってしまえば,物事はすべて金銭的な価値によって評価されるようになってしまいます。人間も,金儲(かねもう)けが上手な人間が,人生の勝者,すなわち,生きている価値のある人間と見なされ,逆に,金儲けの下手な人間(あるいは,金儲けに余り関心のない人間)は,人生の敗者,すなわち,生きている価値のない人間と見なされるようになってしまいます。また,拝金主義に染まり(「金の亡者」になり),金銭的な価値以外の価値を見失ってしまえば,ますし,当然のことながら,普通のつましい暮らしに生きる喜びや幸せを感じることができなくなってしまいます。しかし,人間は本来,生きているというだけで十分に価値があるのではないでしょうか。真の幸せは,普通のつましい暮らしに生きる喜びや幸せを感じられるようになること,ひいては,生きていること(自分が今ここでこうして生きていられること)それ自体に幸せを感じられるようになることの中にこそあるのではないでしょうか。一昔前の日本には,「不必要な(必要以上の)富は望まない」という考え方や生き方が確かに存在しており,そのような考え方や生き方の下で,経済的・物質的には貧しくても誇りを持って心豊かに幸せな人生を送っている人たちがたくさんいましたが,そのような考え方や生き方は,なぜ廃れてしまったのでしょうか。