世の中には,自分の幸せを犠牲にしてでも他者の幸せのために何かをしたいと考えるような人間もいます。しかし,自分を大切にできない人間が,本当に他者を大切にすることができるものでしょうか。一見自己犠牲的に見える行動の裏には,何らかの見返りや報酬(相手からの感謝や世間からの称賛など)を求める気持ちが隠されていることが多いものですし,その行動が,たとえ何ら見返りや報酬を求めないものであったとしても,他者の幸せを犠牲することで幸せになれた人は,自分が幸せになれたことを心の底から喜ぶことができるものでしょうか(なお,子供と親は基本的に一心同体であり,子供の幸せは親の幸せでもあるわけですから,子供の幸せを願って行われる親の無償の行動は,自己犠牲的な行動には該当しません。)。自分が幸せであることと利己的であること,他者の幸せのために自分の幸せを犠牲にすることと利他的であることは,まったく別のことです。幸せに定員(人数制限)などなく,心の持ち方次第で誰でも幸せになれるのですから,誰かが幸せになるために他の誰かが自分の幸せを犠牲にする必要などまったくありません。他者の幸せを本気で願うのであれば,自分と他者が共に幸せになり,幸せであり続けられる道をこそ選択すべきであると思います。自分の幸せを犠牲にしてでも他者の幸せのために何かをしたいなどと考えたり,行動したりすべきではないと思います。そのような恩着せがましい考えや行動は,相手にとっては大きな重荷であり,迷惑なだけかも知れません。