「われわれは生涯のさまざまな年齢にまったくの新参者としてたどり着く。だから,多くの場合,いくら年をとっても,その経験においては経験不足なのである(ラ・ロシュフーコー)」(『人類知抄 百家言』,中村雄二郎,朝日新聞社)
○私たちは,自分は未熟である,自分は無知であるという自覚があればこそ,謙虚に努力し,謙虚に学び続けることができるのではないでしょうか。そして,謙虚に努力し,謙虚に学び続ければこそ,自分を人間的に成長(成熟)・向上させ続けることができるのではないでしょうか。初心を忘れて慢心し,自分は未熟である,自分は無知であるという自覚を失ってしまえば,そこで人間的な成長・向上は止まってしまい,独善に陥るとともに,あとは人間的に退歩・退行し,堕落する一方になってしまいます。自分を人間的に成長・向上させ続けることによって自分の可能性を十分に花開かせたい,多少なりとも他者や社会の役に立てるようになりたいと望むのであれば,たとえどれだけ年齢を重ねたとしても,たとえどれだけ人生経験を積んだとしても,たとえどれだけ大きな社会的(世俗的)成功を収めたとしても,決して慢心しない(決して初心を忘れない)ということが何よりも重要なのではないでしょうか。そもそも,進歩・発展や変化の激しい現代社会にあっては,まさに「習うは一生」であり,常に初心であらざるを得ず,慢心している暇などないとは思いますが。(11)(12)関連