きっと死ぬ瞬間には誰もが,無欲恬淡(むよくてんたん)・春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)という境地に達し,様々な執着や不平不満などから解放されるのではないでしょうか。そして,曇りのない眼や心の平安を取り戻すことによって,生きているということは,ただ生きているというだけで十分に幸せなことだったのだなあ,この世の中に生まれてきたことは,本当に幸せなことだったのだなあと気づき,感謝する気持ちを新たにするのではないでしょうか(ちなみに,幸せであることと感謝することは,切っても切れない密接な関係にあります。実際,私たちの心は,幸せな時には感謝する気持ちでいっぱいになりますし,何かに対して感謝している時には幸せな気持ちでいっぱいになります。したがって,常に幸せでありたいと願うのであれば,常に何かに対して感謝していればいいということになります。逆に言えば,感謝する気持ちを忘れてしまった人は,幸せになることが難しいということです。)。
しかし,死ぬ瞬間に気づくのでは遅すぎます。人生はたった一度きりです。その人生が生きる喜びや希望に満ちた幸せなものでなかったとしたら,私たちはいったい何のために生きているのでしょうか。私たちはいったい何のためにこの世の中に生まれてきたのでしょうか。人生がただ苦しくてつらいだけでのものであったとしたら,たとえどれだけ長生きできたとしても,生きている甲斐(かい)がありません。がわざわざこの世の中に生まれてきた甲斐がありません。
私たちは幸せであるべきであり,幸せとは何かということを正しく見極めた上で(それを見誤れば,すべての努力が徒労に終わってしまう可能性があります。),どのようにすれば幸せになれるのかということをこそ真剣に考え,実践すべきであると思います。幸せであることをこそ人生の最優先課題とし,幸せであることにこそ最大限の関心を払い,最大限の力を注ぐべきであると思います。この優先順位を間違えれば,たった一度きりの人生に大きな悔いを残してしまったり,一生を台無しにしてしまったりする危険性さえあります。