実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

【実り多い幸せな人生に関する名言等 454】

「贈与に対しては反対給付義務が生じます。「もらいっぱなしでは罰が当たる」という精神的な負債感が残る。・・・でも,返礼は贈与してくれた人に直接するものではありません。自分もまた贈る機会があったときに,差し出せるものがあれば,それを贈与すればいい。」(『日本習合論』,内田樹,ミシマ社)

 

○私たちは,独りでは生きていけません。私たちは,数知れぬ他者の直接的・間接的な支えや助けがあればこそ,これまで生きてこられたのだし,これからも生きていけるのです。私たちと他者は,言わば持ちつ持たれつの相互依存の関係にあるわけですから,支えや助けを必要としている他者がいるなら,その支援や協力をすることは,人間としての当然の務めです。優越感を味わいながら,あるいは,相手からの感謝や世間からの称賛を期待しながら行うようなことではなく,むしろ,若干の負い目(支援・協力する相手より自分の方が恵まれていることでの)を感じながら慎み深く行うべきことです。私たちと他者は一体なのであり,他者を益する行動は,必ず回り回って自分を益することにつながってくるのであり,逆に,他者を害する行動は,必ず回り回って自分を害することにつながってくるのですから,他者を競争相手(敵)と見なして席を奪い合うような生き方ではなく,他者を協力相手(味方)と見なして仲良く助け合うような生き方をこそ心がけたいものです。(2021年6月8日)(11)(19)(20)関連

【実り多い幸せな人生に関する名言等 453】

「運命に聞く耳なし。(エウリピデス)」(『教養が滲み出る 極上の名言1300』,斎藤茂太監修,日本文芸社

 

○運命を自分の思い通りにすることなど誰にもできません。運命を自分の思い通りにしようとする努力は,「骨折り損のくたびれもうけ」であるだけでなく,自分を,不平不満,妬みそねみ,恨みつらみ,失意失望,自暴自棄といった心理状態に追い込み,自分は不幸であるという思い込みを生じさせる結果につながりがちです。したがって,常に満ち足りた気持ちで幸せな人生を送りたいと願うのであれば,運命をあるがままに受け入れるしかないのではないでしょうか。そして,どのような不運に見舞われようとも,へこたれることなく,常に幸せであり続けられるように,生きていることそれ自体に幸せを感じられるように自分の心の持ち方を改める必要があるのではないでしょうか。自分が今ここでこうして生きていられることを当たり前と思うことなく,その有り難さに深く思いを致し,心から感謝できるようになり,「生きているだけで丸儲(まるもう)け」と思えるようになるなら,私たちはきっと,どのような不運に見舞われようとも,常に満ち足りた気持ちで幸せな人生を送れるはずです。(2021年6月7日)(1)(4)(6)(7)(9)(15)関連

【実り多い幸せな人生に関する名言452】

「わるい行為をつつしむのは人を傷つけるからだけではない。自分も傷つくからである。」(『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』,ウィリアム・ハート,太田陽太郎訳,春秋社)

 

○私たちは,他者の支えや助けがあればこそ生きていられるのであり,私たちと他者は持ちつ持たれつの相互依存関係にありるのですから(その意味で,私たちと他者は一体なのですから),他者を競争相手(敵)と見なして足を引っ張り合ったり,傷つけ合ったりするような生き方ではなく,他者を協力相手(味方)と見なして助け合ったり,力づけ合ったりするような生き方こそが,人間として自然で真っ当な生き方と言えるのではないでしょうか。「情けは人の為(ため)ならず」とも言うように,他者を大切にし,他者を益する行動は,必ず回り回って自分を大切にし,自分を益することにつながってくると思いますし,逆に,「人を呪わば穴二つ」とも言うように,他者を粗末に扱い,他者を害する行動は,必ず回り回って自分を粗末に扱い,自分を害することにつながってくると思います(そもそも,人間は,悪行ばかりを繰り返していれば,自分を肯定し続けることが難しくなり,いつしか自分を否定し,自分をないがしろにするようになってしまうのではいでしょうか。)。豊かで安全で便利な社会で生活していると,人間は独りでは生きられないと事実をついつい忘れてしまいがちですが,実際には,数知れぬ他者の直接的・間接的な支えや助けがなければ私たちは生きていられないのですから,その事実をしっかり心に刻み,忘れないようにしたいものです。(2021年6月6日)(3)(11)(19)関連

【実り多い幸せな人生に関する名言等 451】

「少ない持ち物で満足できる方法を知れば,欲や貪りは打ち破られます。」(『ブッダの〈今を生きる〉の瞑想』,ティク・ナット・ハン,島田啓介訳,野草社)

 

○欲張り続ける限り,どれだけ多くの物を持っていたとしても満ち足りるということはなく,常に不満を抱えながら,より多くの物を求め続けることになってしまいます。他方,欲張ることをやめれば,すなわち,自分の欲望にブレーキを掛けられるようになれば,たとえ必要最小限の物しか持っていなかったとしても,自分が持っている物だけで満足することが可能になります。常に満ち足りた気持ちで幸せな人生を送りたいと願うのであれば,より多くの物を手に入れることに汲々(きゅうきゅう)とするのではなく,自分の欲望にブレーキを掛けられるようになることにこそ,関心を払い,力を注ぐべきなのではないでしょうか。そのためにも,まずは,自分の命なども含め,自分が持っている物,自分に与えられている物の豊かさに深く思いを致し,自分がそれらの物を持っていることの有り難さ(自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さ)に心から感謝できるようになりたいものです。(2021年6月5日)(1)(4)(6)関連

【実り多い幸せな人生に関する名言等 450】

「諸君は,言葉が実行よりも立派なことは恥辱である,と銘記してほしい。」(『現代語訳 論語』,宮崎市定岩波書店

 

○真理は,それを知っているだけでは意味がなく,実生活に役立てられてこそ意味があるのだと思います。また,真理は,実践を通じてのみ,その深意を得心することができるのだと思います。真理を知ればすぐにでも,それを誰かに教えたくなるものですが,まずは自分で実践し,その深意を得心し,実生活に役立てられるようになる,ということが先なのではないでしょうか。そもそも自分にできないことを他者に求めるべきではありませんし(例えば,自分のことは棚に上げたまま,他者のことを批判したり,非難したりするのは,恥ずべき行為と言えるのではないでしょうか。),実践を積めば積むほど,その言葉には説得力や重みが増すと思うからです。もちろん,他者に真理を伝えようとしたところで,それが確かに真理であったとしても,他者にその真理を受け入れるだけの心の準備が整わない限り,受け入れてもらえることは少ないとは思いますが。(2021年6月4日)(前書き)(3)(17)(20)関連

【実り多い幸せな人生に関する名言等 449】

「昔の学者は自己の内容充実を計るのが学問であった。近頃の学者は人に見せるための学問をする。」(『現代語訳 論語』,宮崎市定岩波書店

 

○この世の中において自分の可能性を十分に花開かせ,思い残すことのない人生を送りたいと願うのであれば,他者(世間)から評価され,名声を得ることよりも,自分が進むべき道を見失うことなく,自分が信じる自分なりの目標や理想に向かって前進し続けることや,そのことを通じて自分を人間的に成長(成熟)・向上させ続けることにこそ力を注ぐべきであると思います。他者は,私たちが期待しているほどには,私たちに対して関心を持っていませんし,私たちのことを理解してくれてもいません。また,他者からの評価など,そのほとんどは,ちょっとしたことですぐに手のひら返しに変わってしまうような無責任でいい加減なものです。そのような他者から評価されようとして右往左往したり,自分の信念をねじ曲げてしまったりすることほど馬鹿らしいことはないのではないでしょうか。もちろん,他者に害を与えたり,迷惑を掛けたりするような生き方は極力控えるべきですが,人生に大きな悔いを残さないようにするためにも,他者からの評価など余り気にせず,自分が本当にやりたいと思うことに打ち込み,自分が進むべき道を邁進(まいしん)することにこそ限りある大切な時間やエネルギーを使いたいものです。(2021年6月3日)(11)(14)関連

【実り多い幸せな人生に関する名言等 448】

「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。(夏目漱石)」(『教養が滲み出る 極上の名言1300』,斎藤茂太監修,日本文芸社

 

○運命を自分の思い通りにすることなど誰にもできません。したがって,私たちは,どのような不運も黙って受け入れるしかありません。不運をいくら嘆き悲しんだところで,事態は何も変わらず,得することなど何もないからです(嘆き悲しみ続けることで,損することはたくさんあると思います。)。ただし,不運を受け入れることと不幸であることは,まったく別のことです。人間の幸不幸は,運命によって決まるのではなく,自分の心の持ち方次第だからです。生きているということは,よくよく考えてみれば一つの奇跡です。私たちは,心の目を曇らせさえしなければ,どのような不運に見舞われようとも,不運を補って余りあるほどの生きる喜びや幸せを人生に見いだすことが可能なのではないでしょうか。そして,人生に無限とも言える生きる喜びや幸せを見いだすことができ,ひいては,生きていることそれ自体に幸せを感じることができるなら,私たちはどのような逆境にあろうとも,幸せであり続けることができるのではないでしょうか。不運を嘆き悲しむのではなく,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに深く思いを致し,心から感謝できるようになること,そして,そのことを通じて生きていることそれ自体に幸せを感じられるようになることにこそ,限られた大切な時間やエネルギーを使いたいものです。(2021年6月2日)(前書き)(1)(4)(6)(7)(9)(15)関連