◯真の幸せとは,平凡な人生に無限の生きる喜びや幸せを見いだせるということである。ただ普通に生きていることを幸せと感じられるということである。本当に幸せでありたいのであれば,大きな成功を手に入れようとあくせくするのではなく,いま自分の目の前にある小さな幸せに気づけるように精進すべきである。(2020年2月7日)
「無益な知識をうんと蓄(た)め込むよりも,少しでもいいから人生の掟(おきて)を学ぶほうが大事である。人生の掟は汝を悪より防ぎ,善へと導くであろう。その反対に無益な知識は,いたずらに汝を傲慢の罪に誘い,真に汝に必要な人生の掟を明らかに悟ることを妨げるであろう。」(『文読む月日(上)』,トルストイ,北御門二郎訳,筑摩書房)
◯人間はいかに生きるべきなのか。まずは,そのことを真剣に考え,学ぶ必要があるのではないだろうか。人生の指針が明確になってこそ,自分が進むべき道も明らかになり,謙虚に努力し続けることも可能になるのだから。核になるものがなければ,知識は単なる知識にとどまり,それを自慢げにひけらかすことはできても,人生に役立つ知恵として体得されることはあり得ないのではないだろうか。(2020年2月6日)
「自分と無縁の事柄に心を煩(わざら)わすな。無関係なことに容喙(ようかい)するな。むしろ自分自身を正し,完成への道を急ぐがよい。」(『文読む月日(上)』,トルストイ,北御門二郎訳,筑摩書房)
◯自分の不幸を他者や運命のせいにして,他者を恨み,他者を責め立て,不運を嘆き,運命を呪ったところで,それらが自分の思い通りに変わるはずもなく,いつまでたっても不幸な状況から抜け出すことはできない。時間やエネルギーの単なる無駄遣いである。幸せであることを本気で望むのであれば,自分の不幸は自分自身に責任があると見方を改め,自分自身を変えることによって不幸な状況から抜け出そうとする方が,よほど建設的であり,実現可能性が高いのではないだろうか。(2020年2月6日)
「過(あやま)ちや手違いが起きても気を落とすな。自分の過ちを意識することほど勉強になることはない。それは自己教育の最大の方法の一つである。(カーライル)」(『文読む月日(上)』,トルストイ,北御門二郎訳,筑摩書房)
◯成功から学ぶことは少なく,失敗から学ぶことは多い。人間は失敗からこそ多くを学ぶのである。そのためにも,日々の体験をしっかり振り返り,自分の失敗(過ち)に気づき,その失敗から学ぶべきことを学び,学んだことを忘れないようにすることが大切である。自分自身を振り返らない人や,自分の失敗を失敗として素直に認められない人や,学んだことをすぐに忘れてしまう人は,人間として成長し続けることが難しいのではないだろうか。(2020年2月4日)
「あらゆる富と権力が,ほんの一握りのエリートの手に集中する一方で,ほとんどの人が搾取ではなく,それよりもはるかに悪いもの,すなわち存在意義の喪失に苦しむことになるかもしれない。」(『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』,ユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之訳,河出書房新社)
◯富や権力を手に入れた人たちが幸せであるとは限らず,そのような人たちから必要とされない存在であるからといって不幸であるとも限らない。このような時代であるからこそ,勇気を持って立ち止まり,幸せであるというのはどういうことなのか,幸せであるためにはどうすればいいのか,人はどのように生きるべきなのか,といったことについてじっくり真剣に考えてみる必要があるのではないだろうか。(2020年2月4日)