私たちは,人生が行き詰まると,それをすぐに他者や社会,あるいは,境遇や運命のせいにしがちです。確かに,人生の行き詰まりには,他者や社会,あるいは,境遇や運命に原因や責任の一端がある場合があるかも知れませんし,行き詰まりを打開すべく努力するよりも,恨み言や泣き言を言っている方が楽かも知れません。その方が,自分のプライドも傷つかないで済みます。しかし,いくら他者や社会を恨んだり,責め立てたりしたところで,あるいは,いくら恵まれない境遇や不運を呪ったり,嘆き悲しんだりしたところで,人生の行き詰まりを打開することはできません(むしろ,他罰的な傾向や不遇感・被害感ばかりを強めてしまい,その結果,人生はさらに行き詰まってしまうことの方が多いのではないでしょうか。)。なぜなら,人生の行き詰まりの主たる原因や責任が他者や社会(あるいは,境遇や運命)にあるとは限りませんし,たとえ他者や社会に主たる原因や責任があったとしても,他者や社会を自分の思い通りに変えることなど絶対にできないからです。