人生が行き詰まってしまうと,私たちはどうしても,それを他者や社会(あるいは,境遇や運命)のせいにし,被害感を募らせてしまいがちですが,恨み言や泣き言を言っているだけでは,いつまでたっても行き詰まりを打開することはできません。なぜなら,恨み言や泣き言をいくら言ったところで,他者や社会を自分の思い通りにすることなど絶対にできませんし,そもそも,人生の行き詰まりが他者や社会のせいばかりとは限らなからです。
確かに,人生の行き詰まりには,他者や社会に原因や責任がある場合があるかも知れませんし,行き詰まりを打開すべく自分で努力するよりも,他者や社会を恨んだり,責め立てたり(あるいは,恵まれない境遇や不運を呪ったり,嘆き悲しんだり)している方が楽かも知れません。その方が,自分のプライドも傷つかないで済みます。しかし,人生は本来ままならないものであるとは言え,そのままならない人生をどのように生きていくのかを決めるのは自分です。自分の人生の主人公はあくまでも自分なのですから,その主導権(自分の人生を自分の意志や努力によって切り開いていく権利,自分の人生をどのような心構えや心がけで生きていくかを自分で決める権利など)だけは,決して手放すべきではないと思います。
「天は自ら助くる者を助く」,「蒔(ま)かぬ種は生えぬ」,「ためない貯金はたまらない」(五味太郎)などとも言います。人生の行き詰まりを本気で打開したいと望むのであれば,人生が行き詰まったことの原因や責任は自分にある(少なくとも,自分にもある)と考えを改めた上で,自分(自分の心の持ち方や考え方や生き方など)を変えることや,自分にできること一つ一つに全力で取り組むことによって人生の行き詰まりを打開しようとする方が,すなわち,自分の人生を,他者まかせ,社会まかせ(あるいは,境遇まかせ,運命まかせ)にするのではなく,自分の人生を自分の意志や努力によって切り開いていこうとする方が,よほど実現可能性の高い賢明な選択と言えるのではないでしょうか。他者や社会を自分の思い通りにすることなど絶対にできませんが,自分を変えることや自分にできること一つ一つに全力で取り組むことなら,自分の意志や努力次第で十分に可能なのですから。「他責的」な考え方や生き方を「自責的」な考え方や生き方に改めることで,プライドは一時的に大きく傷つくでしょうが,人生が行き詰まってしまったことの原因や責任は自分にはないと考えている限り,それを自分の努力によって打開しようとは,なかなか思えないものです。
なお,私たちは,世の中を構成している一部分なのであり,私たちと世の中は深いところでつながり,互いに何らかの影響を与え合っているわけですから,私たち一人一人が変わることによって,あるいは,私たち一人一人が自分にできること一つ一つに全力で取り組むことによって,世の中(その構成要素である他者や社会も含め。)が変わっていく可能性は十分にあります。世の中をより善い方向に変えたいと望むのであれば,その構成員である私たち一人一人がより善い方向に変わっていくことこそが,私たち一人一人がより善い,より人間らしい生き方を目指して自分にできること一つ一つに全力で取り組むことこそが,一番の近道と言えるのではないでしょうか。