実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

慢心した人間は,生半可な知識を得て何でも知っているつもりになりがちである。

 「知る者は言わず,言う者は知らず」,「深い川は静かに流れる」などとも言うように,人間は本来,物事を深く知れば知るほど,それに伴って分からないことも増えてくるため,発言が慎重になり,控え目になっていくのが自然であり,これこそが真の学び(学問)の有り様(よう)であると思います。実際,人生経験を積み,人生について深い知識を有する思慮深い老人は,人生経験の乏しい,人生について浅い知識しか有していない思慮の浅い若者に比べて口数が少なく,物静かであるのが普通です。しかし,慢心した人間は,物事を浅くしか知らないにもかかわらず,生半可な知識を得て何でも知っているつもりになってしまうので(自分が無知であるという自覚を失ってしまうので),黙っていることが難しく,とかく自分の知識をひけらかしたり,何事にも余計な口を差し挟んだりしてしまいがちです。自分の知識をひけらかしたり,何事にも余計な口を差し挟んだりすれば,その見苦しさを嫌われたり,その無知さを馬鹿にされたりする機会も増えますが,影響力のある有名人が自己顕示的に知ったか振りをすれば,その軽はずみな言動によって世論や多くの人たちの判断・行動が一時的にせよ間違った方向に誘導されてしまう危険性がありますので,有名人が,少なくとも自分が専門とする分野(本当に深く知っている分野)以外について発言する際には,特に,否定的・批判的な発言をする際には,できる限り正確な情報に基づいて発言すべきであることは当然のこととして,その発言内容に間違いが含まれている可能性があることを常に念頭に置き,断定口調は控え,慎重の上にも慎重を期して発言する必要があると思います。なお,慢心し,何でも知っているつもりになってしまっている人間は,知っていることなど本当は高が知れているのに(大量の知識を頭に詰め込みながら,実り多い幸せな人生を送るために必要な生活の知恵はほとんど身に付けていない,ということも,よくある話です。),それ以上知ろうとする意欲を失いやすいため,その人生は,年齢と共に謎が深まり神秘さを増すというふうにはならず,分かり切った,深みのない,退屈なものになってしまいがちです。