実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 人生は,すなわち,私たちがこの世の中で生きることのできるチャンスは,たった一度きりです。せっかくなら,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたいものです。そして,できることなら,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な人生を送りたいものです。    私たちの土台を築いているのは,過去の経験,さらに言えば遺伝です。また,私たちが環境から受ける影響もけっして小さくありません。しかし,それらによってすべてが決定されてしまうわけではありません。私たちは過去の経験や遺伝や環境の奴隷ではありません。私たちには自由意志というものがあるのであり,過去を変えることはできませんが,現在や未来は自分の意志によって変えることが可能です。また,環境を自分の思い通りに変えることはできませんが,自分を変えることは自分の意志次第です。どのような過去を持とうが,どのような環境に置かれようが,人生を自分の努力によって切り開いていこうとする強い意志さえあるなら,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であると私は信じています。皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!                                                   *なお,このブログの内容のほとんどは,電子書籍(Kindle版『実り多い幸せな人生を送るために』)の形で御覧になることもできます。

【実り多い幸せな人生に関する名言等 747】   

「最も有害な過ちは,それが過ちであることに気づかぬ過ちであるが,もっと危険な過ちは,有徳の行為とみなされる過ちである。」(『世界ことわざ名言辞典』,モーリス・マルー編,田辺貞之助監修,島津智編訳,講談社

 

○独り善がりな善意や熱意ほど怖いものはありません。なぜなら,独り善がりな善意や熱意に基づく行動は,自分は善いことをしているという気持ちが強すぎるため,たとえその行動が間違ったものであったとしても,その間違いになかなか気づくことができず,したがって,間違った行動にブレーキを掛けることができないまま,間違った行動を何度も無反省に繰り返してしまったり,どこまでもエスカレートさせてしまったりする危険性が高いからです(むしろ,悪意に基づく行動であれば,自分は悪いことをしている,自分の行動は間違っているという自覚がどこかにあるため,何らかの形でブレーキが働き,被害がそれほど甚大になることはないのではないでしょうか。)。しかし,改めて言うまでもなく,善意や熱意に基づくのであれば何をやっても許されるということはありません。善意や熱意で何かを行う際には,その善意や熱意が独り善がりなものである可能性を十分に認識し,自分が独善に陥っている可能性について徹底的に内省した上で,自分の行動がどのような結果を招いているかということを冷静に見守り,見届けつつ,できる限り慎重に行うことを心がけたいものです。もちろん,善意や熱意に基づいて何かを行うということは素晴らしいことですが,その行動を本当に意味のある行動にするためにも,善意や熱意に基づく行動には大きな落とし穴があるということも決して忘れないようにしたいものです。(3)(12)関連