「最も有害な過ちは,それが過ちであることに気づかぬ過ちであるが,もっと危険な過ちは,有徳の行為とみなされる過ちである。」(『世界ことわざ名言辞典』,モーリス・マルー編,田辺貞之助監修,島津智編訳,講談社)
○独り善がりな善意や熱意ほど怖いものはありません。なぜなら,独り善がりな善意や熱意に基づく行動は,自分は善いことをしているという気持ちが強すぎるため,たとえその行動が間違ったものであったとしても,その間違いになかなか気づくことができず,したがって,間違った行動にブレーキを掛けることができないまま,間違った行動を何度も無反省に繰り返してしまったり,どこまでもエスカレートさせてしまったりする危険性が高いからです(むしろ,悪意に基づく行動であれば,自分は悪いことをしている,自分の行動は間違っているという自覚がどこかにあるため,何らかの形でブレーキが働き,被害がそれほど甚大になることはないのではないでしょうか。)。しかし,改めて言うまでもなく,善意や熱意に基づくのであれば何をやっても許されるということはありません。善意や熱意で何かを行う際には,その善意や熱意が独り善がりなものである可能性を十分に認識し,自分が独善に陥っている可能性について徹底的に内省した上で,自分の行動がどのような結果を招いているかということを冷静に見守り,見届けつつ,できる限り慎重に行うことを心がけたいものです。もちろん,善意や熱意に基づいて何かを行うということは素晴らしいことですが,その行動を本当に意味のある行動にするためにも,善意や熱意に基づく行動には大きな落とし穴があるということも決して忘れないようにしたいものです。(3)(12)関連