実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

今この瞬間を疎かにせず,常に心を込めて今を生き,今を楽しみ,今を味わい尽くせるようになるということも,幸せであるための重要なポイントである。

 「心ここにあらざれば,視れども見えず,聴けども聞こえず,食してもその味を知らず」と言いますが,過去(記憶)や未来(想像)に心を奪われたり,他者との勝負や世間の評判に気を散らしたり,内面の物足りなさや憂さを紛らわせようとして過剰な刺激や興奮やスリルに我を忘れたり,雑事に忙殺されたり,氾濫する雑多な情報に心を惑わされたりして上の空で生きている人間が,いま自分の目の前にある幸せに気づくことは難しいのではないでしょうか。人生に稀(まれ)に訪れる派手で目立つ「大きな幸せ」には気づけたとしても,人生の至る所に隠されている(埋もれている)地味で目立たない「小さな幸せ(ささやかな幸せ)」には,なかなか気づけないのではないでしょうか。

 しかし,たとえ訪れたとしても,意外に底は浅く,すぐに色褪(いろあ)せてしまいがちな「大きな幸せ」より,私たちの日常生活に深く根差しているがゆえに決して色褪せることのない「小さな幸せ」をこそ,私たちは大切にすべきなのではないでしょうか。人生の至る所に隠されている無限とも言える「小さな幸せ」に気づけるようになり,ひいては,生きていることそれ自体に幸せを感じられるようになるためにも,様々な執着や雑念などから解放され,心静かにゆったりと,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さを十分に噛(か)み締めながら,常に心を込めて今を生き,今を楽しみ,細部に至るまで(「神は細部に宿る」と言います。)丁寧に今を味わい尽くせるようになりたいものです。そして,そのためにも,世の中が無常であることや(世の中に変化しないものは何もありませんが,これは一つの希望でもあります。),人生が短く(「光陰矢の如(ごと)し」,「歳月人を待たず」),命が儚(はかな)いものであることを常に念頭に置きながら生活したいものです(とは言え,無常であることを嘆き悲しんだり,死を無闇に恐れてじたばたしたりする必要はなく,生きている間は悔いが残らないように人生を大いに楽しみ,死が訪れた際には,それを泰然自若と受け止め,この世の中に生まれてこれたことや,これまで生きてこれたことに対する感謝の気持ちを新たにしつつ人生の幕を閉じればいいだけのことであるとは思いますが。)。

 また,心の目を曇らせたり,心の平安を失ったりしないためにも,呼吸や歩行や飲食などの行動のみならず,欲望や感情や思考なども含め,今この瞬間に自分が体験していることに対して常に心を開き,関心を払い,自覚的でありたいものです。あるがままの自分を注意深く観察したり,自分の心の声にじっと耳を傾けたり,自分の欲望や感情や思考などの本源(本質)を見極めようと努力したりすることを通じてこそ,私たちは自分というものを,ひいては,人間というものを深く知ることができるのですし,自分の欲望や感情や思考などをある程度は自分の意志によってコントロールすることができるようになり,それらに振り回されることが少なくなる分,それらから適度に距離を置き,どのような状況においても心の目を曇らせることなく,心の平安を保つことが可能になると思うからです。

 私たちは現在にしか生きることができないのであり,幸せであるというのは現在が幸せであるということなのですから(そして,その現在の幸せが継続することによって,自(おの)ずと幸せな未来が切り開かれていくということなのですから),人生を長い目で見ながらも,常にマインドフルであることを心がけつつ,今この瞬間を決して疎(おろそ)かにしない,ということも,幸せであるための重要なポイントと言えるのではないでしょうか。もちろん,過去の反省を踏まえて,あるいは,将来を見越して現在やるべきことに最善を尽くすということは大切なことですが,後悔や取り越し苦労ばかりして,心ここに在らずという状態で現在やるべきことに手に付かなくなってしまうというのでは,本末転倒です。