実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(3)③暮らしやすい社会を実現し,有益無害な人生を送るためにも,幸せである必要がある。

 自分は不幸であると思い込んでいる人間は,自傷他害的な行動に出がちですが,そのような有害無益な人生ではなく,自分を大切にし,正しい道を歩み続けながら(正しい道に踏みとどまりながら),自分の幸せのみならず他者の幸せをも願い,喜び,不幸な状況にある他者が幸せになるための手助けを行うような有益無害な人生を送れるようになるためにも,また,世の中をもっと善意に満ちた寛容で和気藹々(わきあいあい)とした暮らしやすいものにするためにも,私たちは幸せである必要があるのではないでしょうか。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1460】

「世の中の人は皆,幸福を求めているが,その幸福を必ず見つける方法が一つある。それは,自分の気の持ち方を工夫することだ。幸福は外的な条件によって得られるものではなく,自分の気の持ち方一つで,どうにでもなる。」,「人間は,心がけたとおりになるものである。」,「およそ,人は,幸福になろうとする決心の強さに応じて幸福になれるものだ(リンカーン)」(『人を動かす』,D・カーネギー, 山口 博訳,創元社

 

 

○たとえどのような逆境(恵まれない境遇)にあったとしても,自分は幸せであると心の底から思えるなら,他者の目にどのように映ろうともその人は確かに幸せなのです。逆に,たとえどのような順境(恵まれた境遇)にあったとしても,自分は幸せであると心の底から思えないなら,他者の目にどのように映ろうともその人は確かに幸せではないのです。要するに,人間の幸不幸は境遇(過去の経験や遺伝や環境など)によって決まるのではなく,心の持ち方(心構えや心掛けなど)によって決まるということです。実際,「生きてるだけで丸儲(まるもう)け」(さんま)と心の底から思えるなら,私たちはたとえどのような逆境にあったとしても,たとえどのような不運に見舞われたとしても,生きている限りは幸せであり続けられるのではないでしょうか。恵まれた境遇を手に入れることにではなく(あるいは,恵まれない境遇を呪ったり,嘆き悲しんだりすることにではなく),どのような境遇にあっても幸せであり続けられるように(生きていることそれ自体に幸せを感じられるように)自分の心の持ち方を変えることにこそ,限りある大切な時間やエネルギーを使いたいものです。(前書き)(1)(4)(6)(7)(9)(21)関連

(3)②不幸な人間が増えれば増えるほど,世の中は不寛容で暮らしにくいものになっていく。

 自分の人生に満足することができず,自分は不幸であると思い込んでる人間は,他者を妬んだり,恨んだりしては他害的な行動に出やすいため,他者との間に友好的な協調関係を築くことが難しく,孤立無援の状態に陥ってしまいがちです。また,当然のことながら,そのような敵対的・排他的な人間が増えれば増えるほど,世の中は悪意に満ちた不寛容で殺伐とした暮らしにくいものになっていきます。なお,他害的な行動の背景には,被害体験が存在していることが多いものですが,被害体験が他害的な行動に直結するわけではありません。様々な被害体験を有しながらも,それらを乗り越えて有益無害な人生を送っている人は,いくらでもいます。

 

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1459】

「地球上にかつて生息したすべての生物はおそらく,最初に生命が吹き込まれたある一種類の原始的な生物から由来していると判断するほかない。(ダーウィン)」(『100分de名著 ダーウィン種の起源』』,長谷川眞理子NHK出版)

 

 

○この宇宙に存在するすべての物は,この地球上に生存する多種多様な生き物も含め,もとを正せば,たった一つの物が分化・発展する過程の中で派生してきた物と言えます。もともと一つの物だったわけですから,この宇宙に存在するすべての物は深いところではつながっており,また,一つの大きなシステムの部分同士として互いに影響を与え合っているはずです。したがって,例えば,私たちが自然環境に大きな負荷をかけ,生態系のバランスを崩すということは,言わば自分で自分の首を絞めているようなものです。私たちは,私たち自身のためにも,私たち人間の欲望ではなく,生態系のバランスを(さらに言えば,宇宙全体の調和や秩序を)保つことをこそ最優先させるべきなのではないでしょうか。そのためにも,「今だけカネだけ自分だけ」といった近視眼的・拝金主義的・利己的な考え方や生き方を,是非とも改めたいものです。(11)(21)関連

(3)①自分は不幸であると思い込んでいる人間は,自傷他害的な行動に出がちである。

 自分の人生に満足することができず,不平不満を募らせ,あるいは,失意失望の淵(ふち)に沈み,自分は不幸であると思い込んでいる人間は(自分がすでに十分に幸せであることに気付けない人間は),「道を踏み外しても失うものは何もない」と勘違いしていることもあり,ちょっとしたことで自暴自棄になっては道を踏み外してしまいがちです。また,自分と他者を比較しては自分より幸せそうに見える他者を妬んだり,自分が不幸であることを他者のせいにしては勝手に被害感を募らせて他者を恨んだりした挙げ句,他者をも自分と同じような不幸な状況に巻き込もうとしがちです。具体的には,内面に鬱積されている不平不満,妬みそねみ,恨みつらみといった感情の捌(は)け口を求めるようにして,弱い者いじめをしたり,陰に回って他者の足を引っ張ったり,他者に非があると一方的に決め付けてはその他者を不寛容に責め立てたり,場合によっては他者に対して直接的な危害を加えたりしてしまいがちです。

 

【実り多い幸せな人生に関する名言等 1458】

「感謝の心を持つことは,あなたの人生と周囲の人の人生に喜びと笑いをもたらす。(アイリーン・キャディ)」(『感謝の習慣』,スコット・アラン,弓場隆訳,ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

 

○同じような境遇にありながら,その境遇に満足し,感謝する気持ちを忘れることなく,常に満ち足りた気持ちで機嫌よく笑顔で暮らしている人もいれば,その境遇に満足できず,感謝する気持ちを忘れ,常に不満を抱えたまま不機嫌にしかめっ面で暮らしている人もいます。また,前者は周りの人たちから好かれやすいだけでなく,周りの人たちをも機嫌よくさせる傾向があるのに対し,後者は周りの人たちから嫌われやすいだけではなく,周りの人たちをも不機嫌にさせる傾向があります。常に満ち足りた気持ちで幸せな人生を送れるようになるためにも,また,多少なりとも他者や社会の役に立ち,他者や社会に益をもたらせるようになるためにも(他者や社会に迷惑を掛けたり,害をもたらしたりするのではなく),感謝する気持ちを決して忘れないようにしたいものです。たとえどのような逆境(恵まれない境遇)にあったとしても,生きているということは一つの奇跡(心から感謝すべき有り難いこと)であり,幸せなことなのですから。(1)(2)(4)(6)(7)(14)関連

(2)④権力は,権力を私物化する危険性の低い,利他的傾向を有する人間に託すべきである。

 世の中の規律や秩序を維持する上において権力は欠かせないものですが,権力者が,その権力を私物化し,私利私欲のために乱用すれば,世の中の規律や秩序はかえって乱れてしまいます。また,権力を手に入れたがる人間は,往々にして私利私欲に捕らわれた利己的な人間であることが多いものですが,利己的な人間は,私利私欲に走りやすいだけではなく,他者をも自分と同じ利己的な人間と見なしやすいため,他者との間に信頼関係を築くことが難しく,他者を力ずくで支配しようとしがちです。したがって,社会の規律や秩序を維持するためにも,また,権力者に力ずくで支配されることを避けるためにも,権力を託す人間を選ぶ際には,権力は私利私欲と結び付きやすく,腐敗しやすいものであるということを十分に認識した上で,くれぐれも慎重に,権力を私物化する危険性が比較的低い,多少なりとも利他的な傾向を有する人間を選ぶ必要があると思います。そして,そのためにも,私たち自身が,多少なりとも利他的な傾向を身に付ける必要があると思います。なぜなら,私利私欲に捕われた利己的な人間は,どうしても私利私欲に捕われた利己的な人間(自分や自分の支持者の私利私欲のために権力を乱用する危険性の高い人物)に権力を託しがちだからです。