他者との勝負など,しょせんは「団栗(どんぐり)の背比べ」,「五十歩百歩(五十歩をもって百歩を笑う)」であるに過ぎません。また,私たちは,他者と支え合い,助け合ってこそ生きていられるのであり,その意味で私たちと他者は一体なのですから,本来は勝ちも負けもないはずです。「勝ち組」・「負け組」などという言葉もありますが,人生の目的は他者に勝つことではありませんし,改めて言うまでもなく,「勝ち組」になることと実り多い幸せな人生を送ることは,まったく別のことです。むしろ,他者との勝負に執着すればするほど,人生は不毛で無益なものになり,幸せからは遠ざかってしまうのが普通です。にもかかわらず,他者と競い合って社会的な成功を収めた人間を人生の勝者と見なし,社会的な成功を収められなかった人間を人生の敗者と見なす現代社会の風潮は,いったい何に由来するのでしょうか。そもそも,大病を患えば誰もが実感するように,生きているということは一つの奇跡(奇跡的な恵み)であり,それ自体,心から感謝すべき有り難いことなのですから,他者に勝とうが負けようが,そんなことで人間としての存在価値が変わるなどということはあり得ません。人間は生きているというだけで十分に価値があるのであり,生きている人間同士の間に価値の差などありません。命の目方はみんな同じです。私たちは他者や社会のお陰で(さらに言えば,大自然の恵みによって)生きていられるのですから,多少なりとも他者や社会の役に立ちたい(できり限り他者や社会に迷惑を掛けたくない)と望むのが自然であるとは思いますが,たとえ他者や社会の役に立てなかったとしても(たとえ他者や社会に迷惑を掛けてしまったとしても),そのことで,存在価値がなくなったり,低下したりするなどということもあり得ません。