「勝ち組」,「負け組」などという言葉もありますが,人生の目的は,他者と競い合って他者が羨むような社会的(世俗的)成功を手に入れることではありません。また,改めて言うまでもなく,経済的な豊かさと心の豊かさは,まったく別のことです。経済的な勝者が人生の勝者であるとは限らないにもかかわらず,経済的に貧しいことをことさら悲惨なこと,恥ずべきこととして捉え,忌み嫌う(経済的に豊かであることをことさらハッピーなこと,誇るべきこととして捉え,追い求める)現代社会の風潮は,いったい何に由来するのでしょうか。このような風潮が,結局は,経済的に貧しい人たちは不幸である(経済的に豊かな人たちは幸せである)という迷信を蔓延(はびこ)らせる結果につながっているように思います。そもそも,(1)でも述べたように,生きているということは一つの奇跡であり,それ自体,心から感謝すべき有り難いこと,大きな値打ちのあることなのですから,他者に勝とうが負けようが,他者から評価されようがされまいが,そんなことで人間の存在価値が変わるなどということはあり得ません。命の目方はみんな同じです。人間は生きているだけで十分に価値があるのであり,生きている人間同士の間に存在価値の差などあり得ません。生きていることそれ自体に幸せを感じられるようになるなら,このことは実感としてよく理解できるはずです。また,私たちは他者や社会のお陰で生きていられるのですから,多少なりとも他者や社会の役に立ちたいと願うのが自然ですが,たとえ目に見えるような形では他者や社会の役に立てなかったとしても,その人間の存在価値がなくなったり,低下したりするなどということはあり得ません。子供たちに対する大人の在り方としても,大人は子供たちをあるがままに受け入れ,その存在価値を認めてあげればいいのであって,子供たちに,子供たちの意志とは関係なく勝敗や優劣を競わせたり,自分たちの偏狭な物差しで子供たちを格付けするようなことは,極力控えるべきなのではないでしょうか。才能(知能の高さなども含め。)の有無などとは関係なく,すべての人間が,他者や社会から大切にされ,その存在価値を認められるとともに,自分でも自分の存在価値を実感しながら暮らせるような社会を実現したいものです。