実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(11)自分を人間的に成長・向上させ続けながら,他者と仲良く助け合い,幸せを分かち合って生きるのが,人間として,また,社会人として,自然で真っ当な生き方である。

 私たちは,幸せであることを大前提として,いかに生きるべきなのでしょうか。

 結論を先に言ってしまえば,自分を人間的に成長(成熟)・向上させ続けながら,他者と仲良く助け合い,幸せを分かち合って生きるべきである,ということになるのではないかと私は思っています。

 せっかくこの世の中に生まれてきたからには,たとえ何かを手に入れることが何かを失うことであるとしても(何事にも一長一短がありますので,何かを手に入れるということは何かを失うということに他なりませんが,自分は何を手に入れるために何を失おうとしているのかという自覚だけは,常に持っていたいものです。),自分を人間的に成長・向上させ続けることによって,自分の可能性を十分に花開かせ,実を結ばせるとともに,多少なりとも他者や社会の役に立ち,思い残すことのない充実した有益な人生を送りたいと願うのは,人間として,また,社会人として,自然なことであり,真っ当なことであると思うからです。思い残すことのない充実した有益な人生を送ることができたなら,いつか訪れる死をも,きっと安らかな気持ちで迎え入れることができるのではないでしょうか。

 また,この宇宙や,この地球に生息する多種多様な生き物たちが,もとを正せば一つのものから分化・発展したものであることを考えれば分かるように(だからこそ,私たちは,「個」を極めることによって「普遍」に至ることができるのではないでしょうか。),私たちは,この世の中を構成している一部分なのであり,この世の中と無関係に生きていくことはできません。特に,私たちは他者の支えや助けがなければ生きていられず,その意味で私たちと他者は本来一体なのですから(「世は相持ち」とも言うように,私たちと他者は持ちつ持たれつの相互依存関係にあるわけですから),互いに仲良く助け合い,幸せを分かち合って生きるのが,少なくとも「己の欲せざるところは人に施す勿(なか)れ」という心構えや心がけで生きるのが(できる限り他者に迷惑を掛けたり害をもたらしたりしないようにして生きるのが),人間として,また,社会人として,自然で真っ当な生き方であると思うからです。

 なお,私たちが暮らしている社会は,人類史上最も豊かで安全で便利な社会と言えますが,そのような社会で暮らしていると,人間は独りでは(孤立無援の状態では)生きていられないという事実を,ついつい忘れてしまいがちです(そして,自分の思い通りにならない人付き合いを嫌い,自分の思い通りになる単独行動を好むようになります。また,私たちは,東日本大震災のような危機的な状況や困難な状況においては,その必要性もあって,他者を協力相手(味方・仲間)と見なして互いに助け合ったり,幸せを分かち合ったりしようとしますが(そのような状況下においては,婚姻率や出生率も上がると言われています。),安全・平和な状況や物事がある程度自分の思い通りになっている状況においては,他者と協力し合う(助け合う)必要性が低下することもあり,むしろ,他者を競争相手(敵)と見なして互いに足を引っ張り合ったり,パイを奪い合ったりするようになってしまいます。)。特に,親の愛情に恵まれずに育った人は,自分は誰にも頼らず自分独りの力で,これまで生きてきたし,これからも生きていくとの思いが強いかも知れません。しかし,実際には,目に見える直接的なものも目に見えない間接的なものも含め,数知れぬ他者の支えや助けがあればこそ,私たちはこれまで生きてこられたのだし,これからも生きていけるのです(例えば,衣・食・住のどれ一つを取っても,完全に自給自足できている人など,少なくとも現代社会にはいないのではないでしょうか。また,私たちが,このような豊かで安全で便利な社会で暮らすことができるのも,分業という協力体制の下で自分の役割を分担することによって(自分の役割を果たすことによって),互いに支え合い,助け合っているからこそです。)。私たちが生きていられるのは他者のお陰であり,私たちは, 他者を信じ,他者を頼らなければ生きていられないのですから,生きるとは他者を信頼することである,といっても過言ではないと思います。