実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 人生は,すなわち,私たちがこの世の中で生きることのできるチャンスは,たった一度きりです。せっかくなら,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたいものです。そして,できることなら,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な人生を送りたいものです。    私たちの土台を築いているのは,過去の経験,さらに言えば遺伝です。また,私たちが環境から受ける影響もけっして小さくはありません。しかし,それらによってすべてが決定されてしまうわけではありません。私たちは過去の経験や遺伝や環境の奴隷ではありません。私たちには自由意志というものがあるのであり,過去を変えることはできませんが,現在や未来は自分の意志によって変えることが可能です。また,環境を自分の思い通りに変えることはできませんが,自分を変えることは自分の意志次第です。どのような過去を持とうが,どのような環境に置かれようが,人生を自分の努力によって切り開いていこうとする強い意志さえあるなら,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であると私は信じています。皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!                                                   *なお,このブログの内容のほとんどは,電子書籍(Kindle版『実り多い幸せな人生を送るために』)の形で御覧になることもできます。

【実り多い幸せな人生に関する名言等 483】

「あなたたちは赦(ゆる)せ,そうすれば赦してもらえるだろう。」(『新約聖書』,新約聖書翻訳委員会訳,岩波書店

 

○失敗や過ちを犯さない人間なんていませんし,人間が犯す失敗や過ちは,そのほとんどが誰もが犯す可能性のあるものばかりです。他者が何か失敗や過ちを犯したからといって,そのことを不寛容に責め立てるということは,いつか自分も他者から不寛容に責め立てられるということです。他者を批判したり,非難したり,見下したり,軽んじたり,嘲笑したりするのは,多少の憂さ晴らしにはなるでしょうし,自分が偉くなったようで気持ちがいいかも知れませんが,いつか自分が同じ目に遭わないようにするためにも,他者の失敗や過ちに対してはできる限り寛容でありたいものです。「己の欲せざるところは人に施す勿(なか)れ」です。そもそも,愛情に裏打ちされていない言葉は相手の心に届きませんし,不寛容に責め立てることで相手がより善い方向に変わっていく可能性は,極めて低いのではないでしょうか(むしろ,相手を意固地にさせ,素直に反省することをかえって難しくさせてしまうだけなのではないでしょうか。)。相手がより善い方向に変わっていくことを,ひいては,世の中がより善い方向に変わっていくことを本気で願うのであれば,私たちは,同じ人間としてできる限り共感的に,「罪を憎んで人を憎まず」という精神で他者と付き合い,向き合っていくべきなのではないでしょうか。(2021年7月9日)(3)(11)(17)関連