○失敗や過ちを犯さない人間なんていませんし,人間が犯す失敗や過ちは,そのほとんどが誰もが犯す可能性のあるものばかりです。他者が何か失敗や過ちを犯したからといって,そのことを不寛容に責め立てるということは,いつか自分も他者から不寛容に責め立てられるということです。他者を批判したり,非難したり,見下したり,軽んじたり,嘲笑したりするのは,多少の憂さ晴らしにはなるでしょうし,自分が偉くなったようで気持ちがいいかも知れませんが,いつか自分が同じ目に遭わないようにするためにも,他者の失敗や過ちに対してはできる限り寛容でありたいものです。「己の欲せざるところは人に施す勿(なか)れ」です。そもそも,愛情に裏打ちされていない言葉は相手の心に届きませんし,不寛容に責め立てることで相手がより善い方向に変わっていく可能性は,極めて低いのではないでしょうか(むしろ,相手を意固地にさせ,素直に反省することをかえって難しくさせてしまうだけなのではないでしょうか。)。相手がより善い方向に変わっていくことを,ひいては,世の中がより善い方向に変わっていくことを本気で願うのであれば,私たちは,同じ人間としてできる限り共感的に,「罪を憎んで人を憎まず」という精神で他者と付き合い,向き合っていくべきなのではないでしょうか。(2021年7月9日)(3)(11)(17)関連