「もし幸福が消費の度合いによって決まるものなら,われわれはすでに十分幸福なはずです。マルクスの時代にくらべて二十六倍も消費しているのですから。しかし,人々がその頃より二十六倍も幸福だと感じていることを示す調査結果は皆無です(セルジュ・ラトゥーシュ)」,「日本の場合もアメリカの場合も,経済が成長すればするほど,生活の満足度が低下する傾向にあります。」(『成長から成熟へ』,天野祐吉,集英社)
○私たちが暮らしている社会は,人類史上最も豊かな社会と言えますし,このような暖衣飽食の社会で暮らせることは,心から感謝すべき有り難いことであると思います。しかし,社会が進歩・発展し,私たちの生活水準が向上したことで,私たちの満足度や幸福度は本当に高まったと言えるでしょうか。社会の進歩・発展と,私たちの満足度や幸福度が比例していないのだとしたら,現在の延長線上にさらに社会が進歩・発展することに,いったいどのような意味があるのでしょうか。私たちはそろそろ,経済的(物質的)な豊かさではなく,心の豊かさを追い求める方向に舵(かじ)を切る必要があるのではないでしょうか。経済的な豊かさをある程度は犠牲にしてでも,自分の欲望に自分の意志でブレーキを掛けられるようになること(ひいては,たとえ必要最小限の物しか持っていなくても自分の人生に満足できるようになったり,極めて質素な暮らしの中にさえ生きる喜びや幸せを無限に見いだせるようになったりすること)にこそ,関心を払い,力を注ぐべきなのではないでしょうか。(1)(4)(6)(8)(21)関連