「資本主義は私のような平均的な人々に,数世紀前の最も裕福な貴族でも想像できなかったほどの機会(繁栄)を当然のように受け止めさせてくれている。」(『人体六〇〇万年史』,ダニエル・E・リーバーマン,塩原通緒訳,早川書房)
○私たちが暮らしている社会は,人類史上最も豊かで安全で便利な社会であると言えます。このように,社会が繁栄し,生活水準が向上したのは,私たち人類がそれを強く望み,欲し続けたからであり,私たちの欲望がその原動力になっていたことは間違いありません。しかし,私たちは,社会が繁栄し,生活水準が向上したことで,その分ますます幸せになったと言えるでしょうか。もし社会の繁栄や生活水準の向上と私たちの幸福度が比例していないとしたら,これ以上社会が繁栄し,生活水準が向上することに,いったどのような意味があるのでしょうか。幸福度を高めるためには,たとえ社会の繁栄や生活水準の向上を犠牲にしてでも,自分の欲望にブレーキを掛けられるようになる必要があるのではないでしょうか。自分をできる限り無欲・小欲の状態に近づけることによって,現在のような暮らしができることを当たり前と思い,すぐに飽き足りなくなっては現在の暮らしに不平不満ばかりを募らせてしまうのではなく,現在のような暮らしができることの有り難さに深く思いを致し,心から感謝しつつ,現在の暮らしに(場合によっては,それ以下の暮らしであったとしても)満足できるようになる必要があるのではないでしょうか。(4)(6)(20)関連