実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 人生は,すなわち,私たちがこの世の中で生きることのできるチャンスは,たった一度きりです。せっかくなら,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたいものです。そして,できることなら,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な人生を送りたいものです。    私たちの土台を作っているのは,過去の経験,さらに言えば遺伝です。また,私たちが環境から受ける影響もけっして小さくありません。しかし,それらによって私たちの人生のすべてが決まってしまうわけではありません。私たちは過去の経験や遺伝や環境の奴隷ではありません。実際,過去を変えることはできませんが,現在や未来なら,自分の意志や努力によって変えることが可能です。また,環境を自分の思い通りに変えることはできませんが,自分を変えることは自分の意志や努力次第です。どのような過去を持とうが,どのような環境に置かれようが,どのような現在・未来を実現しようとするのか,どのような心構えや心がけで生きていくのかを決めるのは自分なのですから,自分の人生に責任を持つ覚悟や,人生を自分の努力によって切り開いていこうとする強い意志がある限り,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であると私は信じています。        皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

【実り多い幸せな人生に関する名言等 892】

「資本主義は私のような平均的な人々に,数世紀前の最も裕福な貴族でも想像できなかったほどの機会(繁栄)を当然のように受け止めさせてくれている。」(『人体六〇〇万年史』,ダニエル・E・リーバーマン塩原通緒訳,早川書房

 

○私たちが暮らしている社会は,人類史上最も豊かで安全で便利な社会であると言えます。このように,社会が繁栄し,生活水準が向上したのは,私たち人類がそれを強く望み,欲し続けたからであり,私たちの欲望がその原動力になっていたことは間違いありません。しかし,私たちは,社会が繁栄し,生活水準が向上したことで,その分ますます幸せになったと言えるでしょうか。もし社会の繁栄や生活水準の向上と私たちの幸福度が比例していないとしたら,これ以上社会が繁栄し,生活水準が向上することに,いったどのような意味があるのでしょうか。幸福度を高めるためには,たとえ社会の繁栄や生活水準の向上を犠牲にしてでも,自分の欲望にブレーキを掛けられるようになる必要があるのではないでしょうか。自分をできる限り無欲・小欲の状態に近づけることによって,現在のような暮らしができることを当たり前と思い,すぐに飽き足りなくなっては現在の暮らしに不平不満ばかりを募らせてしまうのではなく,現在のような暮らしができることの有り難さに深く思いを致し,心から感謝しつつ,現在の暮らしに(場合によっては,それ以下の暮らしであったとしても)満足できるようになる必要があるのではないでしょうか。(4)(6)(20)関連