実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(12)③慢心すれば独善に陥る危険性が高まるが,独り善がりな善意ほど怖いものはない。

 慢心し,謙虚に学ぶ姿勢などを失えば,「思いて学ばざれば即ち殆(あや)うし」とも言うように,迷信や偏見などに捕らわれたり,独善に陥ったりする危険性が高まりますが,「地獄は善意で敷きつめられている」とも言うように,独り善がりな善意や熱意ほど怖いものはありません。なぜなら,善意(熱意)に基づく行動は,たとえそれが間違った行動(例えば,体罰)であったとしても,自分は善いことをしている(相手のために体罰を行なっている)という意識が強すぎるため,当事者はその間違いに気づくことが難しく,また,善意に基づく行動であるだけに他者も意見を言いにくく,結果的に,ブレーキがまったく掛からないまま無反省に何度も繰り返されたり,どこまでもエスカレートしてしまったり(体罰の結果,相手に重傷を負わせてしまったり,相手を死に至らせてしまったり)する危険性が高いからです。むしろ,悪意に基づく行動であれば,当事者に自分は悪いことをしている,自分の行動は間違っているという自覚が多少なりともあるため,どこかで何らかのブレーキが働くものです。改めて言うまでもなく,善意に基づく行動であれば何をやっても許されるというものではありません。人助けなど,善意で何かを行う際には,自分が独善に陥っている可能性について徹底的に内省した上で,また,それが間違った行動である可能性があることを十分に認識した上で,自分の行動がどのような結果をもたらしているかということを冷静に見守り,見届けつつ,できる限り慎重に(慎み深く控え目に)行うことを心がけたいものです。善意に基づいて何かを行うということは,基本的には素晴らしいことであるとは思いますが,その行動を本当に意味のあるものにするためにも,善意に基づく行動には大きな落とし穴があるということを,決して忘れないようにしたいものです。