恵まれない境遇に生まれ育つなどして,世の中の否定的な側面にばかり目を向けるようになり,他者に対して心を閉ざし,人生を悲観し,自分を粗末に扱うようになってしまった挙げ句,自分は不幸であると思い込むようになり,そのような状況からなかなか抜け出せなくなってしまっている人たちがいます。特に,そのような人たちに対しては,世の中の肯定的な側面にも広く公平に目を向けられるようになり,他者に対して心を開き,人生に明るい展望を持ち,自分を大切にできるようになることを通じて自分が幸せであることに気づけるように,そのような人たちの苦しさやつらさを共感的に理解すること(そのような人たちの心の声に耳を傾けること)に努めるなど,自分にできる限りの手助けをしたいものです。
他者が不幸であることは,決して「対岸の火事」ではありません。「明日は我が身」,「昨日は人の身,今日は我が身」です。私たちは,他者と支え合い,助け合ってこそ生きていられるのであり,私たちと他者は持ちつ持たれつの相互依存関係,言わば運命共同体,一蓮托生(いちれんたくしょう)の関係にあるわけですから,不幸な状況からなかなか抜け出せずにいる他者が幸せになるための手助けをすることは,たまたま境遇や幸運に恵まれるなどして一足先に幸せな人生を送ることができている人間にとっての,当然の務めであると思います。それは決して,見返りや報酬(相手からの感謝や他者からの称賛など)を期待しながら,あるいは,優越感を味わいながら行うようなことではなく,当たり前のこととして,望むらくは,自分の方が境遇や幸運に恵まれていることなどでの負い目を感じながら慎み深く行うべきことであると思います。優越感を味わいながら行われるような手助けでは,手助けを行う当人のプライドを高める役には立ちますが,相手のプライドを深く傷つけ,その相手が自分の人生を自分の努力によって切り開いていこうとする意志や勇気や自信や意欲を,かえってくじいてしまう危険性さえあります。
「情けは人の為(ため)ならず」,「ひとつの情け,ふたつのよろこび」(五味太郎)などとも言うように,他者を大切にし,他者を益する行動は,回り回っていつかは必ず自分を大切にし,自分を益することにつながってくるはずですし,逆に,「人を呪わば穴二つ」とも言うように,他者を粗末に扱い,他者を害する行動は,回り回っていつかは必ず自分を粗末に扱い,自分を害することにつながってくるはずです。要するに,他者の手助けを行うことは,自分のためでもあるのですから,それ以上の見返りや報酬を期待するのは,欲張り過ぎというものです。