実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(10)幸せであることは,すべての人間の共通の願いであるとともに,有益無害な人生を送ることを願う真っ当な社会人にとっての義務であり,人生の大前提である。

 なぜ幸せであることが人生の大前提なのでしょうか。

 幸せであることは,すべての人間の共通の願いです。性別や年齢や職業も,暮らしている国や時代も関係ありません。誰もが幸せであることを願っています。一見そのように見えない人でも,心の底では幸せであることを願っているのだと思います。実際,この道を選べば必ず幸せになれると分かっているときに,あえてその道を選ばない(あえて不幸になる道を選ぶ)人がいるでしょうか。道に迷ったり,道を踏み外してしまったりするのは,どの道を選べば幸せになれるのかが分からないからなのではないでしょうか。他者と競い合って社会的(世俗的)な成功を収め,財産や地位や権力や名声などを手に入れなければ幸せになれないなどと幼い頃から教え込まれ続け,そのようなデマを鵜呑(うの)みにしてしまっているからなのではないでしょうか。

 人生が生きる喜びや希望に満ちた幸せなものでなかったとしたら,生きている甲斐(かい)がありませんし,わざわざこの世の中に生まれてきた甲斐がありません。また,(3)でも述べたように,不平不満を募らせ,あるいは,失意失望の淵(ふち)に沈み,自分は不幸であると思い込んでいる人間は,すぐに自暴自棄になっては道を踏み外しやすい上に,他者を妬んだり恨んだりしては他者の足を引っ張ろうとしたり他者をも自分と同じような不幸な状況に巻き込もうとしたりしがちですが(他者の不幸を願い,喜びがちですが),そのような有害無益な人生を送ることに,いったいどのような意味があるのでしょうか。私たちは,幸せであればこそ,自分を大切にしながら正道を歩み続けることができるのであり(道を踏み外すことなく,正道に踏みとどまることができるのであり),自分の幸せのみならず,他者の幸せをも願い,喜び(他者の不幸を悲しみ),自分の幸せを他者と分かち合うことができるのだと思います。そのように考えるなら,幸せであることは,有益無害な人生を送ることを願う真っ当な社会人,特に,対人援助の仕事に従事している社会人にとっての義務である,とさえ言えるのではないでしょうか。

 以上に述べたように,幸せであることは,すべての人間の共通の願いであるとともに,有益無害な人生を送ることを願う真っ当な社会人にとっての義務であるとさえ言えますが,私たちは本来,生きているというだけですでに十分に幸せなのですから,幸せを人生の目標やゴールとして掲げる必要などなく,私たちは,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さ(幸せ)を十分に噛(か)み締めながら,自分が幸せであることを人生の大前提,あるいは,スタートラインとして,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者にとっても有益な人生を送ることを目指すべきなのではないでしょうか。