実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 自戒の念を込め,どのようにすれば真に人間らしく(自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な),生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送れるのかということについて,あるいは,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であるということについて,様々な名言などをヒントにしつつ(それらに含まれている人生の真理を私なりに理解しつつ),できる限り分かりやすく筋道立てて説明していきたいと思います。皆様が実り多い幸せな人生を送る上において,多少なりともお役に立てれば幸いです。               皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

道を踏み外したり,他者に害を与えたりすることなく,自分の幸せを他者と分かち合うような有益無害な人生を送るためにも,私たちは幸せである必要がある。

 不平不満を募らせ,あるいは,失意失望の淵(ふち)に沈み,自分は不幸であるなどと思い込んでいる人間は(自分が幸せであることに気づけない人間は),「道を踏み外しても失うものは何もない」と勘違いしていることもあり,すぐに自暴自棄になっては,あるいは,欲に目を暗ましては,自制心を失い,衝動的に道を踏み外してしまいがちです。また,自分と他者を比較しては,自分より幸せそうに見える他者(社会的に成功しているように見える他者など)を妬んだり,自分が不幸であることの原因や責任を他者に求めては勝手に被害感を募らせて他者を恨んだりした挙げ句,他者の足を引っ張ろうとしたり,他者をも不幸な状況に巻き込もうとしたりしてしまいがちです(当然のことながら,他者との関係はこじれやすく,他者から疎んじられて孤立してしまいがちです。)。具体的には,心ない発言が相手の心を深く傷つけ,知らぬ間に自分の心をも深く傷つけてしまう可能性があることさえ想像できずに,同類と徒党を組んで,あるいは,同類と心理的に結託して,自分より幸せそうに見える他者を不寛容に責め立て(自分のことは棚に上げたまま,相手に非があると一方的に決め付けては,あるいは,相手の短所や欠点や弱みといった否定的な側面にばかり目を向けては,めくじらを立て,罵詈(ばり)雑言を浴びせ,誹謗(ひぼう)中傷し),見下し,軽んじることによって,場合によっては,直接的な危害を加え,損害を与えることによって,内面に鬱積されている不平不満,妬みそねみ,恨みつらみといった感情を晴らそうとしがちです。

 したがって,自分は不幸であるなどと思い込んでる人間が増えれば増えるほど,世の中は不寛容でとげとげしく殺伐とした暮らしにくい(生きづらい)ものになり,犯罪や争い事なども増えていきます。なお,加害行動の背景に被害体験が存在している場合もありますが,被害体験が加害行動に直結するわけではなく,様々な被害体験を有しながらも,それらを乗り越えて有益無害な人生を送っている人はたくさんいます。

 以上のように,自分は不幸であるなどと思い込んでいる人間は,自暴自棄になって道を踏み外してしまったり,他者をも不幸な状況に巻き込もうとして他害的な行動に出てしまったりしやすく,その結果,自分をますます不幸な状況に追い込んでしまいがちですが,そのような有害無益な人生を送ることに,いったいどのような意味があるのでしょうか(人の道に外れた悪行を繰り返していれば,自分を肯定し続けることが難しくなり,いつしか,自分に嘘(うそ)をつくようになってしまったり,自分を否定し,自分を粗末に扱うようになってしまったりします。)。そのような人生ではなく,たとえどのようなことがあろうとも,自分を大切にし,正しい道に踏みとどまりながら(正道を歩み続けながら),自分の幸せのみならず,他者の幸せをも願い,喜び(他者の不幸を悲しみ),自分の幸せを他者と分かち合うような有益無害な人生を送るためにも,また,世の中を寛容で和気藹々(わきあいあい)とした温かみや潤いのある暮らしやすいものにするためにも,私たちは幸せである必要があるのではないでしょうか。