「心ここに在らざれば,視れども見えず,聴けども聞こえず,食えどもその味わいを知らず」とも言うように,他者との勝負や他者からの評価に気を散らしたり,過去(記憶)や未来(想像)に心を奪われたり,内面の物足りなさや憂さを紛らわせるために過剰な刺激や興奮やスリルに我を忘れたり,氾濫する雑多な情報に心を惑わされたり,雑事に忙殺されたりするなどして上の空で(心ここに在らずという状態で)生きていたのでは,いま自分の目の前にある幸せに気付くこと(自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さに深く思いを致すこと)さえ難しいのではないでしょうか。私たちの人生に稀(まれ)に訪れる派手で目立つ「大きな幸せ(他者と競い合って社会的な成功を収めることなど)」には気付けたとしても,私たちの人生の至る所に転がっている地味で目立たない「小さな幸せ(日常生活におけるささやかな満足に生きる喜びや幸せを見いだすことなど)」には,なかなか気付けないのではないでしょうか。