人生が生きる喜びや希望に満ちた幸せなものでなかったとしたら,生きている甲斐(かい)がありませんし,せっかくこの世の中に生まれてきた甲斐がありません。また,(3)でも述べたように,不平不満を募らせ,あるいは,失意失望の淵(ふち)に沈み,自分は不幸であると思い込んでいる人間は,すぐに自暴自棄になっては道を踏み外しやすい上に,他者を妬んだり恨んだりしては他者をも自分と同じような不幸な状況に巻き込もうとしがちですが,そのような,他者の不幸を願い,喜ぶような有害無益な人生を送ることに,いったいどのような意味があるのでしょうか。私たちは,幸せであればこそ,自分を大切にしながら正しい道を歩み続けること(道を踏み外すことなく,正しい道に踏みとどまり続けること)ができるのであり,自分の幸せのみならず,他者の幸せをも願い,喜び(他者の不幸を悲しみ),自分の幸せを他者と分かち合うことができるのだと思います。そのように考えるなら,幸せであることは,有益無害な人生を送ることを望む真っ当な社会人,特に,対人援助や対人サービスの仕事に従事している社会人にとっての義務であるとさえ言えるのではないでしょうか。