実り多い幸せな人生を送るために

真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送るために

 人生は,すなわち,私たちがこの世の中で生きることのできるチャンスは,たった一度きりです。せっかくなら,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたいものです。そして,できることなら,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な人生を送りたいものです。    私たちの土台を作っているのは,過去の経験,さらに言えば遺伝です。また,私たちが環境から受ける影響もけっして小さくありません。しかし,それらによって私たちの人生のすべてが決まってしまうわけではありません。私たちは過去の経験や遺伝や環境の奴隷ではありません。実際,過去を変えることはできませんが,現在や未来なら,自分の意志や努力によって変えることが可能です。また,環境を自分の思い通りに変えることはできませんが,自分を変えることは自分の意志や努力次第です。どのような過去を持とうが,どのような環境に置かれようが,どのような現在・未来を実現しようとするのか,どのような心構えや心がけで生きていくのかを決めるのは自分なのですから,自分の人生に責任を持つ覚悟や,人生を自分の努力によって切り開いていこうとする強い意志がある限り,実り多い幸せな人生を送ることは誰にでも可能であると私は信じています。        皆様の人生が,実り多い幸せなものでありますように!

(10)幸せであることは,すべての人間の共通の願いであるとともに,有益無害な人生を送ることを望む真っ当な社会人にとっての義務であり,人生の大前提である。

 なぜ幸せであることが人生の大前提なのでしょうか。

 幸せであることは,すべての人間の共通の願いです。性別や職業や年齢や,暮らしている国や時代も関係ありません。誰もが幸せであることを願っています。一見そのように見えない人でも,心の底では幸せであることを願っているのだと思います。実際,この道を選べば必ず幸せになれると分かっているときに,あえてその道を選ばない(あえて不幸になる道を選ぶ)人がいるでしょうか。道に迷ったり,道を踏み外してしまったりするのは,どの道を選べば幸せになれるのかが分からないからなのではないでしょうか(したがって,道に迷ったり,道を踏み外してしまったりしている人たちに対しては,不寛容に責め立てるのではなく,正しい道を選択できるように,間違った道を選択してしまわないように,自分にできる限りの手助けをしてあげたいものです。)。他者と競い合って社会的(世俗的)な成功を収め,財産や地位や権力や名声などを手に入れなければ幸せになれないなどと幼い頃から教え込まれ続け,そのようなデマを鵜呑(うの)みにしてしまっているからなのではないでしょうか。

 人生が生きる喜びや希望に満ちた幸せなものでなかったとしたら,生きている甲斐(かい)がありませんし,わざわざこの世の中に生まれてきた甲斐がありません。また,(3)でも述べたように,不平不満を募らせ,あるいは,失意失望の淵(ふち)に沈み,自分は不幸であると思い込んでいる人間は,すぐに自暴自棄になっては道を踏み外しやすい上に,他者を妬んだり恨んだりしては他者をも自分と同じような不幸な状況に巻き込もうとしがちですが(他者の不幸を願い,喜びがちですが),そのような有害無益な人生を送ることに,いったいどのような意味があるのでしょうか。私たちは,幸せであればこそ,自分を大切にしながら正道を歩み続けること(道を踏み外すことなく,正道に踏みとどまり続けること)ができるのであり,自分の幸せのみならず,他者の幸せをも願い,喜び(他者の不幸を悲しみ),自分の幸せを他者と分かち合うことができるのだと思います。そのように考えるなら,幸せであることは,有益無害な人生を送ることを望む真っ当な社会人,特に,対人援助の仕事に従事している社会人にとっての義務であるとさえ言えるのではないでしょうか。

 以上に述べたように,幸せであることは,すべての人間の共通の願いであるとともに,有益無害な人生を送ることを望む真っ当な社会人にとっての義務であるとさえ言えますが,私たちは本来,生きているというだけですでに十分に幸せなのですから,幸せであることは,人生の目標やゴールなどではなく,人生の大前提,あるいは,人生のスタートラインと言えるのではないでしょうか。私たちは,自分が幸せであることを人生の大前提として,自分が今ここでこうして生きていられることの有り難さを十分に噛(か)み締め,感謝しつつ,幸せなだけでなく,真に人間らしく実り多い,自分にとってのみならず他者や社会にとっても有益な人生を送ることをこそ,目指すべきなのではないでしょうか。