「幸福であるという義務ほど,私たちが低く評価している義務はない。(ロバート・スチーブンソン)」(『格言の花束』,堀秀彦編,社会思想社)
○自分は不幸であると思い込んでいる人間は,幸せそうに見える他者を妬みやすく,また,自分が不幸であることを他者のせいにしやすく(他罰的であり),他者をも自分と同じような不幸な状況に巻き込もうとして他害的な行動に出がちです。しかし,そのような,他者の幸せを妬み,他者の不幸を願い,喜ぶような生き方(人生)に,いったいどのような意味があるのでしょうか。私たちは,目に見える直接的なものも目に見えない間接的なものも含め,数知れぬ他者の支えや助けがあればこそ生きていられるのですから(例えば,生存に欠かせない衣・食・住のどれ一つを取っても,完全に自給自足できている人などいないはずです。),他者に迷惑を掛けたり,他者に害をもたらしたりするようなことはできる限りを控え,他者の役に立ったり,他者に益をもたらしたりすることをこそ心掛けるべきなのではないでしょうか。その意味で,幸せであることは,真っ当な社会人にとっての義務であるとさえ言えます。他者の幸せを願い,喜び,不幸な状況にある他者が幸せになるための手助けをするような人間になるためにも,幸せとは何かということを正しく見極めた上で(この作業を疎(おろそ)かにすれば,すべての努力が徒労に終わってしまう危険性があります。),幸せになり,幸せであり続けることにこそ,最大限の関心を払い,最大限の力を注ぎたいものです。(2)(3)(10)(11)(16)(19)関連