「注意すべきは,憎しみを招く元が善行でもあることだ,悪行に劣らずに。」(『君主論』,マキアヴェッリ,河島英昭訳,岩波書店)
○独り善がりな善意ほど恐ろしいものはない,と言います。善意に基づく行動は,たとえそれが間違った行動(例えば,体罰のような行動)であったとしても,自分は善いことをしている(相手のためにしている)という意識が強すぎるため,当事者がその間違いに気づくことが難しく,ブレーキが掛からないまま無反省に何度も繰り返されたり,どこまでもエスカレートしてしまう危険性が高いからです。他方,悪意に基づく行動は,当事者は悪いことをやっている,自分の行動は間違っているという自覚が多少なりともあるため,どこかで何らかのブレーキが働くものです。善意に基づく行動を本当に意味あるものにするためにも,人助けなど,善意に基づいて何かを行うする際には,自分が独善に陥っている可能性について徹底的に内省した上で,また,それが間違った行動である可能性があることを十分に認識した上で,自分の行動がどのような結果をもたらしているかということを冷静に見守り,見届けつつ,できる限り慎重に(慎み深く控え目に)行うことを心がけたいものです。(12)関連