「彼ら(ストア哲学者たち)は,自分を社会の犠牲者だと考えるのがよいとは思わなかった。それどころか,いかなるものであれ自分が何かの犠牲者と考えるのを拒否した。自分を犠牲者だと考えたなら,良き人生は送れない。」(『良き人生について』,ウィリアム・B・アーヴァイン,竹内和世訳,白揚社)
○私たちは,人生が行き詰まるとどうしても,その原因や責任を他者や社会,あるいは,境遇や運命に求めては被害感ばかりを募らせてしまいがちですが,他者や社会をどれだけ恨み,責め立てたところで,恵まれない境遇や不運をどれだけ呪い,嘆き悲しんだところで,人生の行き詰まりを打開することはできません。人生の行き詰まりを打開し,真に人間らしく実り多い,生きる喜びや希望に満ちた幸せな人生を送りたいと本気で望むのであれば,人生の行き詰まりの原因や責任は自分にある(自分にもある)と考えを改めた上で(人生の行き詰まりの原因や責任は自分にはないと考えている限り,その行き詰まりを自分の努力によって打開しようとは,なかなか思えないものです。),自分(自分の心の持ち方や考え方や生き方など)を変えることや,自分にできること一つ一つに全力で取り組むことによって人生に行き詰まりを打開しようとする方が,よほど実現可能性の高い建設的な選択と言えるのではないでしょうか。他者や社会,あるいは,境遇や運命を自分の思い通りに変えることなど絶対にできませんが,自分を変えることや自分にできること一つ一つに全力で取り組むことなら,自分の意志や努力次第で十分に可能なのですから。(3)(4)(15)関連